西暦 | 年 | 月日 | 事項 |
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1730年 | 享保15年 | 6代本多正矩、駿州田中城を賜わり、田中藩々主となる。(田中領3万石、下総領1万石) | |
1837年 | 天保8年 | 11代正寛、藩校日知館を創設。 | |
1859年 | 安政6年 | 遠州相良藩と田中城内で砲術試合を行なう。 | |
1860年 | 万延1年 | 12代正訥、家督相続。 | |
1862年 | 文久2年 | 正訥、初代の学問所奉行となる。 | |
1863年 | 文久3年 | 江戸深川の下屋敷を下総加村台(流山市)に移し、下総領の役所とする。 | |
1864年 | 文久4年 | 正訥、駿府城代を命ぜらる。 | |
1867年 | 慶応3年 | 10.14 | 大政奉還 |
12.9 | 王政復古 | ||
1868年 | 明治1年 | 1.3 | 鳥羽・伏見の戦(戊辰戦争はじまる) |
4.11 | 徳川氏、江戸城を開城 | ||
5.24 | 徳川家達、新政府より駿河・遠江・三河に70万石を与えられ、静岡藩主となる。 | ||
7.13 | 田中藩、安房国長尾へ転封を命ぜられる。 | ||
7.26 | 正訥、田中城を出て藤枝宿洞雲寺を仮住居とする。藩士も在町の寺院へ仮宿し、逐次房州へ移住する。 | ||
1869年 | 明治2年 | 5.18 | 戊辰戦争終結。 |
5. | このころ藩士の房州移住が終わる。 | ||
6.20 | 正訥、版籍を奉還して長尾藩知事となる。 | ||
7~8頃 | 大風のため長尾陣屋が倒壊する。 | ||
12.2 | 禄制が制定され、華士族の俸禄が削減される。 | ||
1870年 | 明治3年 | 1. | 北条での陣屋建設がはじまる。 |
5. | 正訥、北条へ着任。 | ||
11. | 陣屋を長尾から北条へ全面移転する。 | ||
12.23 | 正訥隠居し、正憲が家督を相続する。 | ||
1871年 | 明治4年 | 7.4 | 廃藩置県、長尾県となる。 |
11.13 | 長尾県が木更津県に統合される。 | ||
12.18 | 在官者以外の華士族の職業自由が許可される。 | ||
1872年 | 明治5年 | 8.3 | 学制発布。 |
1873年 | 明治6年 | 1.10 | 徴兵令布告。 |
7.28 | 地租改正条例布告。 | ||
1875年 | 明治8年 | 3.28 | 廃刀令布告 |
1876年 | 明治9年 | 8.5 | 華士族の家禄賞典禄廃止。金禄公債証書発行条例を定める。 |