恩田仰岳

諱は利器、豹太と称し、明治3年10月の隠居後は豹隠と称した。学問を好み藩の儒官石井縄斎に師事し、のち江戸へ出て長沼流兵学の印可をうけた。天保4年に藩の兵学師範となり、黒船来航をきっかけに西洋式兵制への改革を断行した。明治2年の版籍奉還にともなう藩制改革で権大属に任ぜられたが、長尾陣屋建設に失敗し隠居したのちは、私塾を開いて地元の子弟に漢学を教授した。田中藩時代からの弟子は1,000人余にのぼる。明治24年1月83才でなくなった。安房先賢偉人の一人である。

仰岳肖像画(65才のとき)

仰岳肖像画(65才のとき)
恩田利章氏蔵

仰岳先生碑

仰岳先生碑
杖珠院

塾生鈴木氏の帰養を送る(77才のとき)

塾生鈴木氏の帰養を送る(77才のとき)
鈴木秀夫氏蔵

仰岳書幅

仰岳書幅
鈴木秀夫氏蔵

仰岳書幅

仰岳書幅
鈴木秀夫氏蔵

藩主から拝領の甲冑

藩主から拝領の甲冑
恩田利章氏蔵