長尾藩前史-駿州田中藩-

 徳川家譜代の家臣である本多氏は、七家が大名として明治まで残りました。長尾藩本多家は江戸初期に幕閣で活躍した本多正信の弟、槍の三弥といわれた正重(まさしげ)を藩祖とする流れです。正重は下総国に一万石を領し、四代正永(まさなが)の時には四万石に加増されて、上野国沼田城主となりました。六代正矩(まさのり)に至って、享保15年(1730年)に駿河国田中城を賜わり、下総一万石と田中領三万石の田中藩主となって十二代正訥(まさもり)が長尾に移るまでの140年間支配し、幕府でも要職につきました。なかでも十二代正訥は文芸に秀で、天下の三公子とうたわれて、初代の昌平坂の学問所奉行に就任しています。

田中城絵図

田中城絵図 
 藤枝市指定
 藤枝市教育委員会蔵