明治元年7月、新政府から房州転封を通達されると、藩内では長尾の地に陣屋を建設することで準備がすすめられました。この地を選定し、中心となってこの任にあたったのは藩の兵学者恩田仰岳(豹隠)です。軍事的な見地から要害としてこの地を選んだものでした。明治2年からは藩士の移住も着々と進んでいきましたがその年の夏大風のために建設中の陣屋は倒壊し、翌年正月からは北条への移転計画がすすめられました。長尾への陣屋建設は位置の問題で当初より反対もあったため、陣屋倒壊で豹隠は譴責をうけ、やがて職を辞します。北条移転後は全く荒廃し、現在は山林と畑になっています。
長尾村に本多の城ができるという ほんだ《本多》けれどもなごう《長尾》保たん
≪当時の落首≫
現在地
長尾陣屋跡
白浜町滝口