文久3年(1863)9月、安房国の総社鶴谷八幡宮で拝殿・幣殿の上棟・遷宮式が行われた。別当那古寺の肝煎りで、八幡村の元名主根岸太郎兵衛を小屋奉行に、安政5年(1858)の計画決定で始まったこの再建工事は、長宮普請・本殿修復を含めて慶応元年(1865)まで続けられた。
この工事にあたっては安房国内各村から寄付を募り、安房国総社としての面目をかけた大工事だったようである。寄付は館山藩をはじめ、安房の飛地支配の役所を北条においていた近江国三上藩遠藤氏、かつて北条に陣屋を構えていた上総鶴牧藩水野氏などにまで及んでいる。
この普請に参加した職人は、上棟式の時の資料で、那古村の加藤喜八を中心とする那古組大工26名と、北条村の羽山林兵衛をはじめとする北条組大工27人、八幡村の青木清五郎を棟梁とする木挽方49名、後藤義光とその弟子幸吉・久蔵・勇吉ら4名の彫工を知ることができる。その他左官・石工・飾り屋・瓦師・銅細工・鍛治・塗物師・仕事師など、期間中延べ9,800人が働いた。
大工棟梁としてすべてを取り仕切ったのが元名の中沢久五郎、相棟梁として那古の加藤喜八、喜八はのち久五郎にかわって棟梁になっている。その他大工の重立ちには、世話役として本織の伊丹喜内、北条の羽山林兵衛・吉野忠右衛門、沓見の山口由兵衛などがいた。普請にあたっては、那古組と北条組が建物を左右に割ってそれぞれを担当し、競い合ったと伝えられている。
拝殿模型
65.幣殿中之梁指図
個人蔵
69.鶴谷幣殿再建寄付牒
個人保管
70.御社御普請日記
当館蔵
73.八幡宮造営褒状
当館蔵
74.鶴谷拝殿彫物寄付牒
個人蔵
75.向拝格天井絵図
個人蔵
向拝天井彫物
鶴谷八幡宮(拝殿は関東大震災後の再建)
鶴谷八幡宮再建歌碑(文久3年)
79.八幡神画像
個人蔵