安房郡北条村(館山市北条)の羽山林兵衛は、鶴谷八幡宮の造営にあたって世話役を務め、北条組大工27名を束ねていた。安政2年(1855)に北条村塩蔵寺本堂の普請を行っているが、建築の仕事については他に確認されない。むしろ彫り物を多く残しており、本織延命寺の観音堂向拝にある安政4年に彫った蟇股の鶴や、富山町検儀谷の松尾神社向拝彫刻(明治6年)、館山市亀ヶ原新御堂の大黒天像(明治3年)などが確認されている。
林兵衛についてはその他詳しくは知りえないが、北条の金台寺の羽山家の墓地には、宮大工で小湊誕生寺の普請に携わったと伝えられる林太郎という人物の墓があり、明治12年(1879)に没している。林兵衛と同一人物かもしれない。林太郎の子権之助も大工で、長須賀来福寺にある後藤義光翁寿蔵碑建設の賛成員に名を連ねている。権之助の実弟鴫原徳松は後藤流の彫物大工であった。明治42年に権之助が58歳で没すると、羽山家に男子がいないことから大工を廃業した。
107.木造大黒天像
館山市亀ヶ原・新御堂蔵