(10)洲崎灯台(洲崎)

 大正8年12月、洲崎の庚申山に立てられた灯台で、航路標式管理所技手斉藤新治郎の設計です。元来東京湾に向って航行する船舶は、白浜の野島崎灯台を目標にすすんでいましたが、布良崎を洲崎と誤認して、平砂浦に坐洲することがありました。洲崎灯台の点火以後、そのような事故はなくなっています。

◇交通 JRバス洲の崎灯台前下車徒歩5分

(9)波左間陣屋跡(波左間)

 文化7年(1811)に奥州白河藩に東京湾西岸の房総沿岸警備が命じられ、安房・上総で三万石が与えられました。藩主松平定信は、洲崎に砲台、白子に遠見番所、百首・波左間に陣屋を設け、白子番所を梅ヶ岡・百首陣屋を竹ヶ岡・波左間陣屋を松ヶ岡と名づけました。波左間陣屋には約500名の兵が配置され、波左間の光明院をはじめ、坂田の西方寺・見物の東伝寺には藩士の墓が数基みられます。陣屋は東西150m、南北116mの規模がありましたが、文政5年(1822)に富津に陣屋が移されて、廃止されました。今ではその位置を知ることはできません。

◇交通 JRバス波左間下車

(8)孝子新四郎の碑(見物) 

 江戸時代の塩見の人太田新四郎は孝子として知られています。安永3年(1774)に父が病没したとき、49日間墓前に立ち、雨が降れば傘をもって墓を覆い、その後も朝夕二回必ず墓参をしたといいます。また存命の母に対しても孝養をつくし、そのため寛政7年(1795)6月には、時の領主前田安房守より米五俵銭五貫文を与えられ、そのうえ母の生存中は毎年米二俵づつを下されました。昭和59年元東小学校正門前にその記念碑がたてられました。

◇交通 JRバス西岬下車徒歩1分

(7)西岬村役場場跡(見物)

 明治4年(1871)に西岬の14ヵ村は旧来の藩の支配を脱して木更津県に編入され、明治16年には千葉県に編入されました。明治11年に郡区町村編制法が施行されると5村から3村で村連合がつくられ、17年には坂田以東の8村を所轄する戸長役場と、洲崎から外房の6村を所轄する戸長役場がおかれ、西岬村成立の下地となりました。そして明治22年に西岬村となったわけです。村役場は見物におかれ、モダンな庁舎でしたが、昭和29年の館山市との合併で一時公民館として使用され、その後昭和51年に取り壊されました。

◇交通 JRバス西岬下車徒歩5分

(6)海南刀切神社(見物)

 海側の見物にある社が海南刀切神社で、刀切大神を祭神にしていますが、もとは浜田の船越神社と一神で豊玉姫命を祀っていました。本殿裏には二つに割れたような巨岩がありますが、これは、ここの神が船に乗ってきたとき、浜に上陸してから手斧で巨岩を切り開いて路を通したのだとも、人々を苦しめる大蛇が災をおこさないように、神が鉈で岩を切り、大蛇の住む紫ノ池の水を抜いたときのものだとも伝えられています。境内には天保10年に楠見村の石工田原長左衛門が彫った狛犬や、長須賀村の石工鈴木伊三郎が彫った燈蘢があります。また拝殿向拝には明治の彫工後藤忠明の龍や獅子があり、拝殿内部には現代の岩崎巴人画伯の作品もあります。毎年7月に行われるかっこ舞は、船越神社といっしょに市の無形文化財に指定されました。別当寺は見物村の東伝寺が務めていました。

◇交通 JRバス安房浜田下車徒歩2分

(5)鉈切洞窟(浜田)

 およそ二万年前の沖積世初期にできた海蝕洞窟です。標高23.7mの位置にあり、間口8.7m、高さ3.4m、奥行39.3m。昭和32年に発掘調査され、縄文時代に洞窟住居として利用されていたことがわかりました。古墳時代には墓として利用され、その後信仰の場へと変遷しました。県の文化財に指定されています。

◇交通 JRバス安房浜田下車徒歩3分

(4)船越鉈切神社(浜田)

 現在県道をはさんで山側の浜田にある社を船越鉈切神社、海側の見物にある社を海南刀切神社と呼んで区別していますが、かっては両社はひとつの神社として信仰され、浜田の船越神社を上ノ宮、見物の刀切神社を下ノ宮と呼んでいました。船越鉈切神社には海神である豊玉姫命が祀られ、本殿は鉈切洞穴として県の指定文化財になっている洞窟の中にあります。境内には宝塔を浮き彫りにしたやぐらや、元禄6年に時の領主石川政徃が奉納した燈籠をはじめ、文化10年の燈籠や安政2年の手水鉢があり、そのほか社宝として市指定文化財の独木舟・元禄10年に紀州漁民が奉納した鰐口などがあります。また毎年7月には市指定無形文化財のかっこ舞も行われています。浜田の高性寺が別当寺を務め、地元だけでなく船形や富浦などの漁民の信仰をうけていました。

◇交通 JRバス安房浜田下車徒歩1分

(3)善栄寺(塩見)

 本尊は14世紀頃につくられた銅造の阿弥陀如来像で、痣とり阿弥陀として信仰されてきた真言宗のお寺です。江戸時代を通じて、塩見村に7石7升3合の朱印地を、幕府から与えられていました。堂内には室町時代の愛染明王坐像があり、境内にも中世の宝篋印塔や五輪塔の断石がみられます。

◇交通 JRバス安房塩見下車徒歩2分

(2)臥龍松生息跡(塩見) 

塩見の観音堂境内には、「臥龍松」と書かれた石碑が立てられています。明治26年に柏崎の服部重右衛門が立てたもので、道標も兼ねています。かってここには松の巨木があり、北から南に向って巨幹を伸ばしていました。江戸時代終わり頃の記録には、高さ2丈、幹廻り1丈2尺、さらに南北24間、東西28間にわたって枝を広げていたとあります。土地では一烈松と呼んでいましたが、白河藩主松平定信が文化年間に安房を巡閲したとき、この松に感嘆して臥龍松と名付けたといわれています。古くから安房の名所として知られていましたが、大正大震災の頃に枯衰し、戦時中に消滅してしまいました。

◇交通 JRバス安房塩見下車徒歩2分

(1)サンゴ層(香)

 天然記念物として沼のサンゴ層が市の指定をうけていますが、沼と同じ層のサンゴを香にもみることができます。沼のサンゴ層は地層の代表的な模式地とされ、「沼層」「沼階」などと呼ばれており、東京湾の海進時期の形成と考えられています。香のサンゴ層は地層が露出しているため、化石の採掘がみられます。また浜田や早物・見物にはザンゴ(珊瑚)という地名があり、サンゴ層のあることを思わせます。

◇交通 JRバス洲の崎線浅間神社前下車徒歩10分