江戸時代の塩見の人太田新四郎は孝子として知られています。安永3年(1774)に父が病没したとき、49日間墓前に立ち、雨が降れば傘をもって墓を覆い、その後も朝夕二回必ず墓参をしたといいます。また存命の母に対しても孝養をつくし、そのため寛政7年(1795)6月には、時の領主前田安房守より米五俵銭五貫文を与えられ、そのうえ母の生存中は毎年米二俵づつを下されました。昭和59年元東小学校正門前にその記念碑がたてられました。
◇交通 JRバス西岬下車徒歩1分
江戸時代の塩見の人太田新四郎は孝子として知られています。安永3年(1774)に父が病没したとき、49日間墓前に立ち、雨が降れば傘をもって墓を覆い、その後も朝夕二回必ず墓参をしたといいます。また存命の母に対しても孝養をつくし、そのため寛政7年(1795)6月には、時の領主前田安房守より米五俵銭五貫文を与えられ、そのうえ母の生存中は毎年米二俵づつを下されました。昭和59年元東小学校正門前にその記念碑がたてられました。
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