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波左間の集落部は周囲を山に囲まれ、海に面した地域で、その地名は狭間(はざま)によるといわれています。漁業中心の村落ですが、江戸初期の里見氏治政下でもすでに村高251石余あり、里見家一門の御隠居様が知行していました。江戸時代後期の文化文政期になると、白河藩主松平定信が東京湾の海防のために波左間に陣屋を築きそこを松ヶ岡と称していました。明治元年の村高は219石余でした。同6年には児島太右衛門を世話役に波左間小学校が開校しています。神社は諏訪神社で弘化2年の手水鉢がみられ、神社の手前が光明院で、安房の名彫工後藤義光の作品が本堂向拝にほどこされています。その他海岸よりに観音堂があります。