文化7年(1811)に奥州白河藩に東京湾西岸の房総沿岸警備が命じられ、安房・上総で三万石が与えられました。藩主松平定信は、洲崎に砲台、白子に遠見番所、百首・波左間に陣屋を設け、白子番所を梅ヶ岡・百首陣屋を竹ヶ岡・波左間陣屋を松ヶ岡と名づけました。波左間陣屋には約500名の兵が配置され、波左間の光明院をはじめ、坂田の西方寺・見物の東伝寺には藩士の墓が数基みられます。陣屋は東西150m、南北116mの規模がありましたが、文政5年(1822)に富津に陣屋が移されて、廃止されました。今ではその位置を知ることはできません。
◇交通 JRバス波左間下車