西岬地区

 シリーズ2回目として西岬地区を取り上げました。西岬は安房国の西端にあり、東京湾に岬のように突き出していることから名付けられたもので、明治22年の西岬村成立のときの命名です。

 農業と漁業を生業とする半農半漁の村々からなり、農業が主、漁業が従でしたが、全村のほとんどが漁業に従事していました。現在では花と海を活かして観光化が進んでいますが、市全域の15%にあたる16.47k㎡の面積に、人口が3,507人で市全体の6.2%と、表にもみるように過疎化傾向にあります。

 西岬には現在に大字として残る14の村々がありましたが、戦国時代から江戸時代の初めまでは里見氏が支配していました。その後は村ごとに幕府や旗本の領地となっていましたが、幕末に異国船が東京湾近海へ現れるようになると、奥州白河藩の松平定信が沿岸防備のため、西岬一帯を幕府から預って治めるようになり、その後も武州忍藩や備前岡山藩が預り地とし、東京湾の海防の要地となっていました。明治になると、香村と坂井村が長尾藩領、塩見・浜田・早物・見物・加賀名・波左間・坂田・洲崎・川名・伊戸・坂足・小沼の諸村が館山藩領となりました。明治6年には千葉県に編入され、明治22年にこの14ヵ村が合併して西岬村となり、館山市と合併したのは昭和29年のことです。

戸数のうつりかわり

旧町村名 天保 明治24年 世帯数 昭和35年 昭和60年 香 71 73 88 109 塩見 53 58 77 89 浜田 27 30 38 62 早物 16 18 29 37 見物 38 48 68 94 加賀名 22 28 25 31 波左間 89 91 119 152 坂田 57 63 76 92 洲崎 54 60 77 116 川名 (西川名) 54 61 95 90 伊戸 95 107 119 136 坂足 14 15 15 16 小沼 31 30 26 26 坂井 32 31 32 51 合計 653 713 884 1,101