坂足(さかだる)

居下(イジタ) 清水(シミズ) 作田(サクダ) 向原(ムカイバラ) 関ノ下(セキノシタ)

 この地区が西岬で最も規模の小さな集落で、江戸時代を通じて14.5軒の戸数でした。江戸時代初期の里見氏治政下では、町奉行の角田丹右衛門が知行し、村高は77石。明治元年には97石余になっています。神社は蛭子神社があり、宗教法人の寺院はありませんが、山麓に波切不動と呼ばれる照浪院があります。ここには寛政10年の手水鉢がみられます。