坂田(ばんだ)

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 明治22年に西岬村が成立する直前の明治17年に、数ヵ村を管轄する戸長役場がおかれたとき、坂田を境に坂田から香までの8村を一括する戸長役場と、洲崎から坂井までの6村を一括する戸長役場がおかれていました。その後の東小学校と西小学校の通学区の区分はこれに応じたものです。江戸初期の里見氏治政下では、里見家一門の御隠居様が知行し、村高189石余。明治元年には160石余。神社は熊野神社、寺院は実蔵院と西方寺があり、西方寺には幕末に海防の任にあった白河藩士の墓があります。