塩見(しおみ)

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平安時代には安房国安房郡塩海郷といわれており、現在の沼から見物一帯にかけての地名であったと考えられています。里見氏治下の江戸初期には、里見家一門の御隠居様の知行地で村高197石余。慶長2年の塩見村太閣検地帳が残されています。明治元年には190石余。明治6年には鈴木林右衛門を世話役に塩見小学校が開校されています。神社は御嶽神社があり、文政11年の燈籠と、拝殿の向拝には幕末から明治期の彫刻師後藤三四郎の作品があります。寺院は善栄寺で江戸時代には7石余の寺領をもっていました。また1石余の除地をもっていた宝蔵寺もありましたが、今は善栄寺と合併しています。その他海岸に観音堂があり、戦前まで臥龍松のある名所でした。

塩見村絵図(個人蔵)