奥州白河藩によって波左間の陣屋と同時に築かれた砲台で、玉除けの土手をつくり、5門の大砲が据えられていました。洲崎のうち早崎に築かれ、勝崎と呼ばれていました。藩主松平定信をはじめ幕府の若年寄や勘定奉行などが巡見に訪れています。白河藩が任を解かれたあと、幕府代官が引き継ぎ、その後武州忍藩や備前岡山藩が海防の任にあたると、遠見番所としても利用されました。同じ頃伊戸にも大砲3門を備えた台場が築かれています。房総の台場は安政5年(1858)の日米通商条約締結後に、富津の一ヶ所を残して廃止されました。
◇交通 JRバス洲の崎灯台前下車徒歩8分