神の音のかたち

 古代から現代まで、神まつりや寺での信迎にあるいは祭りや芸能に使われてきたのが「鈴の音」です。この音の背景には、「いのり」や「ねがい」「おもい」といったものがこめられていました。そして古代の人々は、鈴の音を介して神と出会い、音をとおして神の声を聞くことができたようです。しかし現代の私たちは、このような音を聞く術(すべ)をなくしてしまったのかもしれません。土鈴を聞いても、ただゴロゴロという音しか聞こえません。ましてや、館山市つとるば遺跡の土でつくった鈴や鐸からどのような音がイメージできるでしょうか。
 ところで古墳(こふん)時代の5世紀には、大陸から多くの金属製品が入ってきて、それを模倣(もほう)した馬具(ばぐ)とともに、多くの鳴るものが出現しました。その影響で、鏡に鈴を付けることがおこなわれたようです。鈴鏡については埴輪(はにわ) (参照)から、それを巫女(みこ)が持ったことが窺(うかが)えますので、その性格は自(おの)ずとわかります。
 大陸の影響を受けた「鈴の音」は、多くが古墳から出土しており、権威(けんい)の音ともいえますが、いつの頃からか神の使いとして巫女が持つようになったものなのでしょう。

35.人物埴輪(鈴鏡を下げた巫女)

35.人物埴輪(鈴鏡を下げた巫女)
  埼玉県行田市稲荷山古墳
 (現蔵:埼玉県立さきたま史跡の博物館)

5.安房の土製模造品~何をモデルにどう使われたのか

 土製模造品の分布をみると、関東では南関東に集中する傾向があり、特に安房(あわ)に多いことはさきに述べたとおりです。さらに全国をみると、近畿地方をはさんで東西にある九州と関東に多くみられることが明らかになっています。また分布の多い地域でも関東の安房のように、特に集中するという傾向があります。
 土製模造品は造形がしやすいので、石製模造品にはない鈴鏡(れいきょう)や鐸(たく)、武具類、機織(はたおり)具、人形(ひとがた)などがみられ、館山市つとるば遺跡の鈴鏡や鐸のように、特徴的なものが認められます。またそのまつりは継続的にはおこなわれていないという共通した現象があります。これらのことから祀られた神は、地域で霊威(れいい)ある神として意識されていたため、国家の統一が進む過程で神まつりの強制的な統合が行われていたという指摘がされていますが、安房の鐸鈴のまつりがどのようにおこなわれ、どのような文化交流のもとに形成されたものなのか探っていきます。

 嶺岡七鈴鏡遺跡 -鴨川市嶺岡-

 鴨川市嶺岡(みねおか)の山中にあるこの遺跡から、8世紀の土師器(はじき)片や三彩(さんさい)、須恵器(すえき)、銅椀とともに、なんと古墳時代後期の毛野(けの)(群馬県と栃木県)で流行した青銅製の(七)鈴鏡(れいきょう)(参照)が出土しました。先に述べたように、6世紀代にまつりが行われた館山市のつとるば遺跡(参照)からも、土製模造ではありますが鈴鏡が3面出土していますので、もしこれ が奈良時代まで受け継がれたものだとすると、鈴鏡文化圏(参照)の彼方(かなた)の地で、鈴鏡使用のまつりが残されていたとも推測することができます。遺跡の性格については、火葬墓(かそうぼ)跡ではないかという推測がされましたが不明です。

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物
「長者」刻銘土師器
国立歴史民俗博物館蔵

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物
須恵器
国立歴史民俗博物館蔵

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物
須恵器
国立歴史民俗博物館蔵

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物

31.鴨川市嶺岡七鈴鏡遺跡出土遺物
土師器
国立歴史民俗博物館蔵

 莫越山神社遺跡 -丸山町宮下-

 式内論者の丸山町宮下の莫越山(なこしやま)神社の北西側には神奈備(かんなび)型の渡度(とど)山があり、この麓(ふもと)に莫越山神社遺跡(六角堂・石神畑・東畑)がありますこのうち東畑からは、勾玉(まがたま)形・丸玉形・釧(くしろ)形などの土製模造品と手捏(てづくね)土器が出土しています。この遺跡は集落に近く、神奈備型の小山を神体(しんたい)山とした神まつりの典型的な例といえます。

渡度山
渡度山
30.丸山町莫越山神社遺跡出土遺物

30.丸山町莫越山神社遺跡出土遺物
土製模造品(丸玉・勾玉形)

30.丸山町莫越山神社遺跡出土遺物

30.丸山町莫越山神社遺跡出土遺物
土製模造品(釧形)

30.丸山町莫越山神社遺跡出土遺物

30.丸山町莫越山神社遺跡出土遺物
土製模造品(釧形)

(以上、千葉大学理学部地球科学科蔵)

 袋畑遺跡 -館山市洲宮-

 神社の境内(けいだい)、あるいは旧社地と伝えられる地から祭祀(さいし)遺物が発見される例は多く、袋畑(ふくろはた)遺跡も式内社(しきないしゃ)「后神天比理乃咩命(きさきのかみあめのひりのひめのみこと)神社」の論社(ろんしゃ)(参照)である洲宮(すのみや)神社の旧社地にあります。そこは、現在の洲宮神社の南側にある魚尾(とお)山と呼ばれる丘陵の上で、手捏(てづくね)土器と土製模造品(鏡形・有孔円板(ゆうこうえんばん)・勾玉(まがたま)形・丸玉形)が出土しています。

29.□館山市洲宮・袋畑遺跡出土遺物

29.□館山市洲宮・袋畑遺跡出土遺物

29.□館山市洲宮・袋畑遺跡出土遺物

29.□館山市洲宮・袋畑遺跡出土遺物
土製模造品

(以上、館山市洲宮神社蔵)

 コラム(10) -白浜町見上遺跡-

 今回、展示はできなかったが、白浜町滝口の下立松原神社の南側にある棚状に広がる畑地から、手捏(てづくね)土器と土製模造品(鏡形・丸玉形)が出土している。手捏土器は他遺跡のものに比べると小型である。
 この遺跡も、袋畑遺跡や莫越山神社遺跡と同じく、古社に近い位置から発見された祭祀遺跡である。

 谷遺跡-館山市東長田-

 日本で最も古くから知られた祭祀(さいし)遺跡で、明治33年(1900)に大野延太郎が報告を行っていますが、当時はほとんど関心が傾けられませんでした。
 この遺跡は汐入(しおいり)川の上流の河岸段丘の一番高いところにあり、背後の丘陵の麓(ふもと)近くから遺物がみつかっています。丘陵の頂上部から遺物が棄(す)てられ、二次的に堆積(たいせき)したものだという指摘もありますが、むしろ麓で行われた神まつりだと考えた方が自然でしょう。
 須恵器(すえき)や土師器(はじき)、手捏(てづくね)土器、高坏(たかつき)形・椀(わん)形とともに、勾玉(まがたま)形、丸玉形や有孔円板(ゆうこうえんばん)などの一般的な土製模造品のほか、人字形がみつかっています。6世紀代から7世紀にかけてまつりが行われたことが土器からわかりますが、少量ながらも須恵器をつかっていることと、高坏形の手捏土器が用いられていることは、この遺跡の大きな特徴になっています。

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物
手捏土器・土師器・須恵器

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物
土製模造品

(以上、個人蔵)

 猿田遺跡 -館山市出野尾-

 館山市出野尾(いでのお)の標高約30mの場所には出野尾洞穴があり、猿田遺跡はこのすぐ南東側に位置しています。ここは、大雨による土砂崩れにより、7世紀代の須恵器とともに土製模造品(勾玉(まがたま)形・丸玉形・鏡形・有孔円板(ゆうこうえんばん))がみつかったことにより確認された遺跡です。

 はっきりしたことはわかりませんが、出土地点のすぐ南側が丘陵ですから、神まつりが丘陵頂上部で行われた後、山腹にまとめられて埋められたものかもしれません。

27.館山市出野尾・猿田遺跡出土遺物

27.館山市出野尾・猿田遺跡出土遺物
須恵器

27.館山市出野尾・猿田遺跡出土遺物

27.館山市出野尾・猿田遺跡出土遺物
土製模造品

(以上、当館蔵)

 青山遺跡 -館山市山本-

 青山遺跡は標高約50mほどの丘陵状にあり、昭和30年頃ここから5個を1セットにした小型の土器が計7組、東西方向に約2mの間隔(かんかく)をおき、一列に並んで出土したといいます。とすると35個の土器がみつかったことになりますが、現在確認できるのは2つの土師器杯(はじきつき)だけで、ほかに手捏(てづくね)土器などがあったかどうかはわかりません。これらはまつりでの役目を終え、人が踏まないような場所に埋められたものなのかもしれません。

26.館山市山本・青山遺跡出土遺物(左)
24.館山市大戸・本館遺跡出土遺物(右)
当館蔵

 館ノ前・本館・南台遺跡 -館山市大戸-

 館ノ前(たてのまえ)、本館(ほんたて)、南台の3遺跡は標高10mほどの低湿地(ていしっち)にあります。館山湾にそそぐ汐入川(しおいりがわ)中流域に位置する大戸(おおと)は、枝状に開いた谷の入口にあり、これらの遺跡からは、土製の鏡形・勾玉(まがたま)形・丸玉形・有孔円板(ゆうこうえんばん)と手捏(てづくね)土器が出土していて、土製模造品のきわめて一般的なあり方を示しています。ところで、ここでの神まつりには不明な点があります。歴史地理学の成果から、祭祀(さいし)遺跡は地形変化を受けやすい場所にあるので、何らかの力によって二次的に堆積(たいせき)した可能性が高いという指摘がされている一方で、集落内のまつりであるという可能性もあります。はっきりとはしないのですが、上流には東長田・谷(やつ)遺跡などがありますので、この周辺地域で土製模造品のまつりが一般的であったことだけは確かです。

1=館ノ前 2=本館 3=南台

1=館ノ前 2=本館 3=南台

23.館山市大戸・館の前遺跡出土遺物

23.館山市大戸・館の前遺跡出土遺物

24.館山市大戸・本館遺跡出土遺物

24.館山市大戸・本館遺跡出土遺物
(土製模造品)

25.館山市大戸・南台遺跡出土遺物

25.館山市大戸・南台遺跡出土遺物

(以上、当館蔵)