白滝山不動教会の概要
(鴨川市上小原477)
真言宗のお寺で、正式名称は白滝山不動教会といい、本尊は不動明王。大同3年(808)弘法大師の開山と伝え、大師自ら不動明王像を刻んで、一宇を建立したといわれています。また、永正年間(1504〜1521)に長狭郡山之城(やまのしろ)城主正木大膳太夫時茂が白滝山滝谷寺(ろうこくじ)と称して、再興したと伝えられています。境内に白絹の滝があることから「滝の不動」と呼ばれ、修験の寺でした。明治以降は精神鍛錬の修行をする信徒が宿泊し、明治から昭和初期の川名道念・川上道秀住職の頃は、東京・横浜をはじめ千葉県内から信徒7,000人を集めたといいます。大正10年(1921)には滝を中心とした境内約25町歩(7,500坪)が公園化されました。参道には鳥居があり、裏山には石尊(せきそん)神社があります。境内には句碑・歌碑・記念碑などが多数奉納され、多くの信仰を集めていたことがわかります。昭和43年(1968)に亀田義精住職が「白滝山不動教会」と改称し、現在も祈願霊場として善男善女の信仰を集めています。
(1)滝新道開鑿(かいさく)記念碑
明治43年(1910)4月起工、大正4年(1915)4月に竣工した新設道路802間(約1.5km)の記念碑。発起者は上小原の小田分台(こだけだい)で、住職川名道念他36名が田畑・山林・金銭を寄付している。集落から当寺へ至る道である。
(2)狛犬(こまいぬ)
上小原区長等25名を世話人に、明治23年(1890)に氏子たちが石尊神社に奉納した。講中や他地区の人など約200名から寄付があり、1人50銭の額が多い。
(3)鳥居
石尊神社の鳥居で右柱の裏に「■政戌年九月吉日」とあり、寛政2年(1790)の建立と推測される。願主は亀田新兵衛と氏子中で、世話人は名主等村役人。
(4)姉妹イチョウ
樹高約18m、樹齢300年以上とされ、鴨川市指定天然記念物。一本の幹から出たもう一本の幹を包み込むような姿からこのように名付けられた。
(5)嶋田修一頌徳碑(しょうとくひ)
主基村村議会議長として昭和30年(1955)、主基・吉尾・大山の3村を合併し長狭町誕生に尽力した人物。昭和33年(1958)に57歳で亡くなった。
(6)開運大黒尊
昭和天皇御大典記念に奉納された開運大黒天の記念碑。京都御所での御大典式典を記念して、昭和3年(1928)11月10日に主基村の伊丹友治が奉納した。
(7)俱利伽羅龍王(くりからりゅうおう)
火炎に包まれた黒龍が剣に巻き付き、それを飲み込もうとする様は不動明王の化身である。像前に、水神を祀るために岩をくりぬいた枡(ます)がある。
(8)灯籠
階段の上・中・下段に灯籠がある。下段のみ完形で、竿に「御神燈」・年号・人名が刻されるが、風化で建立年は不明。中段は竿に「御神前」と寛政2年(1790)3月の年号、基礎に村人6名が記される。上段は文字不明。
(9)子安地蔵菩薩と如意輪観世音菩薩
階段登り口の左右に子安地蔵菩薩と如意輪観世音菩薩の石仏がある。子供たちの成長と女性たちの健康を願って、文化元年(1804)に当村の七郎左衛門が願主となり、山王台中と順礼講の女性たちが建立した。
(10)出羽三山碑
山形県の出羽三山は、羽黒山「現在」、月山「過去」、湯殿山「未来」とされ、生まれ変わりの三山として信仰されている。10-1は明治36年(1903)、10-2は昭和37年(1962)、10-3は昭和30年(1955)に地元の人が参拝した記念碑である。
(11)永代護摩(ごま)資料(しりょう)碑
130基程ある階段両脇の石碑は本堂再建の寄付金奉納碑である。明治24年(1891)に始まり大正12年(1923)まで1〜180円の金額が確認できる。碑には市原郡・夷隅郡や横浜などの地名もあり信仰圏の広さがみられる。
(12)堂宇改修公園寄付の碑
堂宇改修と大正時代に行われた白絹の滝を中心に境内を公園化した際の寄付記念碑。久留里町の田中岩吉は大正15年(1926)に100円を寄付した。
(13)本堂再建の碑
上部に不動明王を表す梵字(カーン)が刻まれている。本堂は明治17年(1884)に再建したが莫大な借金が残り、道念を中心に地元や夷隅郡・市原郡・君津郡の弟子18名が講社を結び、永代護摩料を集めて返済した。その記念として明治30年(1897)に上小原区と市原郡白鳥村の宮原新恵紋(しんえもん)が発起人として建立。
(14)芭蕉句碑
「ほろゝゝと山吹ちるか滝の音」。上小原の伊丹凌雲や田村一梅など籬連(まがきれん)の24名により建てられた芭蕉の句碑。明治24年(1891)1月建立。揮毫者は露竹。
(15)厄除大師像・不動明王像
厄除大師を中心に5体の不動明王像が祀られている。厄除大師には「第一番」と刻まれ、弘法大師巡礼の第一番と思われる。大正15年(1926)に伊丹友治が奉納した。隣には不動明王像を配した手水石がある。施主は雄蔵。
(16)本堂(不動堂)
本尊不動明王像は弘法大師自刻霊像とされ、御前立(おまえだち)波切不動像は唐の恵果(けいか)和尚作と伝えられる。不動堂を飾る彫刻は千倉の彫刻師後藤一門によるもので、向拝(ごはい)の龍は明治17年(1884)初代後藤義光70歳の作。海老虹梁(こうりょう)の龍は明治16年(1883)長男紋次郎、木鼻(きばな)や手挟(たばさみ)等は義光の弟子たちの作。施主は安房・上総・長生・浦賀と広域に及んでいる。タイル張りの珍しい天水桶は昭和12年(1937)奉納。
(17)白絹の滝
境内にある加茂川支流に落差30mで県南最大級の滝がある。河床は硬い緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)などで形成されている。大正期までは信仰の対象で一般人は入れなかったが、大正5年(1916)に滝を中心とした公園化が始まった。昔話の中に「お鍋が淵」という「番町皿屋敷」にそっくりな物語が伝えられている。
(18)安川文時(やすかわふみとき)歌碑
鴨川市細野出身の歌人安川文時(1865~1944)の歌「あさなゆうな みれともあかす みねをかや みねのまつはら いろとはにして」の歌碑。昭和10年(1935)建立。文時は同郷でアララギ派の歌人古泉千樫(ちかし)の雅号「千樫」を考えた人。江戸時代の国学者で鴨川市寺門(てらかど)出身の山口志道(しどう)の顕彰にも努めた。
(19)田中儀平翁顕彰碑
主基村北小町の貧しい農家に生れたが、身を起して明治期に農業の改良普及に尽力した人。安房を代表する篤農家(とくのうか)で、大日本農会などから表彰された。大正5年(1916)没。碑の題字は交流のあった伯爵(はくしゃく)万里小路通房(までのこうじみちふさ)。撰文は千葉県知事石田馨(いしだかおる)で、昭和6年(1931)に主基村農会が建立した。
(20)夜学会彰徳碑(しょうとくひ)
明治28年(1895)に上小原で青年会によって夜学会という補習教育が始められた。指導は小学校の教員で、通学者は上小原以外に現鴨川市域と富津市天羽地域から集まった。高等教育機関ができた大正8年(1919)に終了し、記念に上小原青年館と同青年夜学同窓会により碑が建てられた。卒業生総数は94人。
(21)庚申塔(こうしんとう)
本尊青面金剛(しょうめんこんごう)と邪鬼(じゃき)・三猿(さんえん)が彫られている。庚申(かのえさる)の日の夜に眠ると、体内の三尸(さんし)の虫が抜け出して、その人の罪状が天帝に告げられると命が縮まるという信仰があり、仲間で本尊に祈り夜が明けるのを待つ行事があった。数回続けた講中が天明6年(1786)に建立した。
(22)石尊(せきそん)神社
浅間山への登山道の途中に石造の天狗面が5面祀られている。脇の碑には宝暦9年(1759)7月とある。相模大山寺を勧請したのであろうか、今も7月に神職と上小原区の役員により雨乞の神事が執り行われている。
◎ 昭和院 鴨川市上小原字滝
真言宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。昭和8年(1933)に南小町にあった森蔵寺・密蔵院・来迎寺と成川の等覚院を合併し、新しい寺院を現在地に移転して、翌年昭和院と名付けられた。初代住職は星野義道。
作成:ミュージアムサポーター「絵図士」
青木悦子・金久ひろみ・佐藤博秋・佐藤靖子・殿岡崇浩・岡田晃司
(2023.12.25 作)
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