市原氏池和田の養老川と平蔵川の合流点に突き出した標高72mの丘陵上にある。西は矢田郷などの平野部を臨む急崖で、東は尾根を掘り切って要害としている。
足利被官の佐々木一族という多賀氏が守る城で、かつて山麓にあった東光寺の本尊薬師三尊は永正元年(1504)に多賀蔵人助が寄進したものである。里見氏が国府台で敗れた永禄7年、里見の配下だった多賀氏は後北条氏の攻撃を支え切れずに落城。城跡からは焦米や多数の人骨が出土したことがあるという。
里見氏はここに養老川での拠点を失い、天正末には長南武田氏の属城となっていた。
池和田城跡(市原市)
30.木造薬師如来坐像光背墨書銘
光明寺蔵
29.大身槍(伝多賀兵衛佐所用)
多賀大郎氏蔵