明治34年、館山城跡の東南麓の「ウバガミサマ」と呼ばれる場所から多数の五輪塔が掘り出され、さらにその下から七つの甕が出土しました。ここに紹介した五つの陶磁器がそれではないかと思われます。この場所は中世の「やぐら」が崩れて埋もれていたと考えられるところで、里見氏が館山を居城とする以前の室町期の五輪塔が今も残されています。陶磁器はもちろん骨蔵器として利用されたものです。里見氏以前に、ここで生前これだけのものを愛用した人物はだれであるのか興味深いところです。山の西南麓にも五輪塔が出土した場所がありますが、そのあたりが里見氏以前の根小屋地域と考えられるところです。北西に高の島湊という天然の良港をかかえたこの地域は、思いの外早くから重要な場所だったのかもしれません。
姥神様の五輪塔群
16.白磁四耳壺(2)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
16.常滑甕(7)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
16.常滑甕(5)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
16.褐釉柏葉文瓶子(4)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
16.片口鉢(6)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
◇◆ 城郭用語一口メモ(4) ◆◇
-石垣(いしがき)-
近世の城に一般的な石垣は、戦国時代の城ではまだ多くはなく、とくに関東ではあまり利用されていない。里見氏の山城には部分的に石積みがみられ、里見氏の築城技法の特色ではないかとして近年注目されている。館山城には石垣に替わるものとして、地山の岩盤を垂直に切り立てた城壁がある。