「城」といって誰もが思い浮かべるのは姫路城のような高い石垣のうえに築かれた白亜の大天守閣でしょう。天守閣といえば近世城郭の象徴ですが、それは近世のしかも城内施設のひとつでしかありません。城とは「土」で「成」すと書くように、土を掘り、土を盛って造った防備施設全体の姿をさすものです。戦国時代の城とはまさに土に手を加えて造られたものが主体なのです。
全国に点在する二万ともいわれる城跡は、そのほとんどが戦国時代のものといいます。戦国時代の城は、軍事拠点としてはもちろん、戦国武将たちの所領支配の拠点として、政治・経済的な役割も重視されてきます。そうしたことから、在地を把握しやすい地点として里に近く比較的高くもない山を選んで築城することが多くなります。そして山の麓には平時に城主や家臣たちの生活の場となる「根小屋」と呼ばれる居住区画もありました。
そうした戦国時代の城での生活とはいったいどのようなものだったでしょう。城の主や在番の武士たち、また彼らの生活を支えるさまざまな人たちもいたはずです。近年、城跡の発掘調査がさかんに行われ、城郭そのものの姿や当時のさまざまな生活用具、武器、武具を目にすることができるようになりました。ここでは房総里見氏ともゆかりのある下総国葛西城の遺物から、その生活の例を紹介しましょう。
この城跡から出土しているものには、刀や鉄製の槍先・やじり、鉛の鉄砲玉や鎧の部品、笄・小柄などの武器具があります、しかし意外と城跡から出る遺物には、調理・飲食用に使う陶磁器製の碗や皿が多くあります。国産ばかりでなく高級な白磁・青磁・染付など中国製陶磁器もさまざまな城跡で発見されます。ここでも大量に出ていますが、その他に漆の碗や箸、臼・すり鉢・おろし皿なども出ています。装身具として動物の骨でつくった笄や木製の櫛・根付け・下駄、調度品としての灯明皿、将棋の駒やサイコロなどの遊戯具、当時流行していた喫茶用具としての天目茶碗や茶臼などは、戦闘を離れた時間の生活を浮かび上がらせてくれます。また井戸の石組みの下からは大量の板碑が発見されています。追善供養の石塔のこのような無残な使われかたは葛西城を落とした新城主によるもので、戦国という時代を思い知らせれます。