一宮町一宮にある標高20mの小丘陵上にあり、一宮川の南岸に位置する。字城ノ内といい、近世後期に一宮藩加納氏の陣屋が設けられるが、発掘調査によって、中世の建物址・水路・池などの遺構が確認されている。また焼土層や火災痕のある中国磁器・かわらけ・古銭などが出土しており、一度城が焼失していることが確認されている。
永禄7年に勝浦の正木時忠が里見氏を離反したとき、同族の正木大炊助が拠る一宮城を落としたが、その際隣接する上総一宮の玉前神社が兵火にかかったと伝えられている。
以後北条方の拠点となり正木藤太郎が在城するが、後北条氏との和睦以後はふたたび里見氏の属城となり、天正18年には里見義康の領分として鶴見甲斐守が在城している。
一宮城跡(一宮町)
43.一宮城跡出土遺物
(一宮町教育委員会蔵)
陶磁器片
ほうろく片・常滑甕片
カワラケ・耳カワラケ・火災痕のあるカワラケ片
硯片
高度の熱により密着した古銭
炭化木片
鉄砲玉
刀子・小札・刀装具・火打鎌
鉄釘
44.絹本著色地蔵菩薩画像
般若寺蔵