その位置については、大多喜町大多喜にある標高73mの近世大多喜城とその北方1kmにある泉水の根古屋城との二説がある。夷隅川を臨む地にあり、天文13年正木時茂が武田朝信から攻め取って以来、東上総支配のための正木氏の最大の拠点となった。時茂・信茂・憲時・時堯(時茂)と在城し、里見氏による上総経営の片翼を担ってきたが、秀吉により上総が収公されると、正木氏は安房へ引き移り、城は徳川氏に接収された。
40.青銅製茶器
東長寺蔵
41.懸仏
青竜寺蔵
42.正木信茂書状
真田文子氏蔵
(右 端裏)