俳諧の世界でも、師匠が使用していた号を門人が譲られ、あるいは数代にわたって受け継ぐことで、師の教えを継ぎ系譜をつないでいくことが行なわれていました。ここでは雨葎庵という安房の俳系を紹介します。
《雨葎庵》 写真77の譲状は、平磯の摩尼窟宗拱が師の二世採荼庵梅人に、元禄の頃から伝わる「芭蕉葉」と「如玉園」の印を与えられ、それが雨葎庵其杖へ、そして文茂へと譲られ、さらに文酬と梅居へ分け与えられたことを伝えている。これはそのまま彼らの師系を表すもので、<雨葎庵>はその後文酬の系統へと受け継がれ、昭和中期まで六世続いた。
【南無庵其杖】 法印宥観。伊勢国桑名生まれで粕谷姓と伝え、京都で医学を修めたのち、安房郡安布里村(館山市)に住し、牛頭天王別当八雲山三覚院の修験になったという。三覚院は三上姓。権大僧都。眼医師。俳諧は江戸の五世太白堂桃雪、平磯村観養院の宗拱に師事。はじめ雨葎庵、のち南無庵。墓は八坂山神社境内。辞世「■くら山■見る■無事寒の明」
【二世雨葎庵文茂】 吉田織右衛門。安永9年(1780)、平郡金尾谷村(富浦町)生まれ。吉田喜右衛門の子。安布里村の南無庵其杖に師事。雨葎庵を継ぎ、のち松蔭斎と号す。万延1年(1860)3月3日没。81歳。法然文茂居士。辞世「死んたとて何処へも行かす花の山」
【一香舎梅居】 平島氏。平郡大津村(富浦町)の人。名主。屋敷を梅田屋敷と称される。文茂の門人。はじめ一香舎梅居と称し、のち白梅居香雪と称す。安政3年(1856)に一円窓欣月の『総角集』に跋文を書く。辞世「余念なく鶯聞て眠りけり」。明治42年(1909)に大津の小滝香栄(孫次郎)が二世白梅居を嗣ぐ。
【三世雨葎庵文酬】 高梨泰助。平郡正木村(館山市)、享和元年(1801年)生まれ。高梨信左衛門の子。医師。瘤類の治療に巧みで、瘤医者と称される。祖父亘も長崎・大坂で医学を学んだ医師。俳諧は金尾谷村の文茂に師事。はじめ桂菴。のち文茂より雨葎庵を受け継ぐ。弘化3年(1846)、為誰庵由誓とともに『国分集安房之部』の序を記す。嘉永4年(1851)雨葎庵を山口路米に、桂庵を鶴谷八幡宮神官の馨林(武内伊勢)に譲り、復陽堂と称する。万延元年(1860)夏、武州成塚(深谷市)に滞在。文久3年(1863)に正木の諏訪神社に丘連で芭蕉句碑を建立。明治6年(1873)7月2日没、73歳。慈明文酬居士。辞世「かたる間に 終更にけり 夏の月」。明治15年3月に路米らが追善句会開催、および追善集『ちなみ集』刊行。
78.高梨文酬肖像画 高梨泰輔氏蔵
【四世雨葎庵路米】 山口茂兵衛。天保3年(1832)、平郡小原村(館山市)生まれ。名主山口太郎兵衛の養子。東斎・雪山とも号す。俳句は弘化2年(1845)より文酬・木鵞に師事し、嘉永4年(1851)3月四世雨葎庵を継ぐ。嘉永6年名主見習、明治6年副戸長を務め、明治17年(1884)に隠居。明治12年、伊勢参宮・西国三十三観音巡拝、85日。明治15年3月、文酬十三回忌追善集を刊行。明治16年、勝浦の旭松菴一澄に遠州流挿花を師事、27年皆伝、千松庵一稲と号す。明治22年9月、那古山月楼で取越しの芭蕉二百回忌を行ない、句碑を那古寺に建立。23年松島行脚。26年神道管長より訓導、27年権少講義に任じられる。34年那古寺に古稀を記念して句碑を建立。41年8月喜寿祝の選集『路米集』を刊行。明治41年(1908)9月20日没、77歳。眞諦院保壽路米居士。長男すみれに雨葎庵を譲る。辞世「雪と見る桃吹く畑の嵐かな」
70.山口路米の御庄連採点帖 岡崎淳氏蔵
79.山口路米喜寿選集『路米集』 当館蔵
80.路米俳画幅 当館蔵
48.路米短冊 山口国男氏蔵
81.路米句聯 安西明生氏蔵
【五世雨葎庵すみれ】 山口国治。文久2年(1862)、平郡小原村(館山市)生まれ。山口茂兵衛(路米)長男。家を姉テルに譲り分家。那古町収入役・町会議員。耕村とも号す。杉山杉風系梅人末流を称す。明治28年立机、帯径堂と称し、同年『八重葎集』を刊行。明治42年雨葎庵を嗣ぐ。関東大震災で負傷し、昭和5年(1930)4月20日没、69歳。静観院雨葎菫翁居士。昭和5年5月20日付で門葉人名録『傑作集』を刊行。
【六世雨葎庵示伯】 岡崎隆爾。明治25年(1892)、稲都村御庄(三芳村)生まれ。雨葎庵すみれ門人。昭和7年(1932)1月夷隅郡布施村(大原町)の花月館三上貞雄より花随庵の号を受け立机。すみれの遺言により同年10月雨葎庵を継ぐ。昭和31年(1956)9月11日没、65歳。順法院隆道示伯禅定門。
六世をもって雨葎庵は絶えた。東京でも地方でも旧派俳系のほとんどが同様である。そうした流れを見ながら、すみれと示伯は不明になりかけていた雨葎庵の師系を調査している。
85.岡崎示伯の師系調査ノート 岡崎淳氏蔵
48.示伯短冊 山口国男氏蔵
48.すみれ短冊 山口国男氏蔵
86.雨葎庵に継がれた文台 岡崎淳氏蔵