【1】江戸の俳諧
 <芭蕉と蕉風>

 江戸時代前期に松尾芭蕉が確立した俳句の作風を蕉風と呼びます。芭蕉は、ことば遊びだった俳諧を人生詩に変えた詩人です。古典的な雅の世界と卑俗な現実世界のギャップから生まれる笑いや、人生を謳歌する享楽の表現だった俳諧を、17文字の短い文章のなかで日常の世界・現実の人生を表現する芸術に高めたといわれています。

 芭蕉の作風はその当時から高い評価をうけ、門人たちの活動によって蕉風を慕う俳人の底辺をひろげていきました。江戸を中心とする都会派蕉門は芭蕉の門人たちから多くの俳系にわかれ、勢力を張り合いながらも、各俳系の俳人たちが房総へ遊歴してきています。

 房総の俳人たちも神格化された芭蕉を慕い、蕉風を伝える江戸の俳人たちと広く交流をもちました。安房地方では兎門(杉風系)・葛飾派・雪門・伊勢派と呼ばれるさまざまな俳系の人々の影響を受けながら、地域のリーダーとなる俳人も数多く育っていきました。

 地域のリーダーは連というグループをまとめ、句会を取り仕切り、句作の添削をおこなう宗匠として活動しました。地方の宗匠は文芸に親しむ機会の多い名主や医者・僧侶など、経済的にゆとりのある階層の人々が多くみられました。

1.『奥の細みち』写本   堀口角三氏蔵

1.『奥の細みち』写本   堀口角三氏蔵

2.芭蕉肖像画   座間恒氏蔵

2.芭蕉肖像画   座間恒氏蔵

 平館村(千倉町)の俳人石井平雄が描いた芭蕉像に、師である久保村の井上杉長が、芭蕉の『笈の小文』から「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす」の一節と、「旅人と我名よはれむはつ時雨」の句を写して讃としたもの。安馬谷村の俳人で名主の座間柞枝が所有した。文政4年(1821)10月作。