安房へ遊歴してきた俳人は数多くいたはずです。そのなかには安房の人々と広く風交を重ねた上総行川(夷隅町)の半場里丸と有名人の小林一茶がいました。
【半場里丸】 上総国行川村(夷隅町)の人。宝暦6年(1756)生まれ。夷隅の梅丸・二世採荼庵梅人の門人で、海人の旧号第一園を継ぐ。化政期には夏目成美・鈴木道彦・谷川護物・小林一茶などの有力俳人と親交をもち、安房でも杉長・郁賀・宗拱などの門友をはじめ鳥周・買風などと連句を行っている。文政4年(1821)に判者披露を兼ねた選集『雪のかづら』を刊行し、文政9年(1826)には清水寺(岬町)に芭蕉句碑を建立した記念選集『杉間集』を刊行した。ともに100人を超える安房の俳人の作品が入っている。天保元年(1830)没。75歳。
54.半場里丸短冊 座間恒氏蔵
54.小林一茶短冊 座間恒氏蔵
【小林一茶】 信濃国柏原村(長野県上水内郡信濃町)の人。宝暦13年(1763)生まれ。江戸へ出て其日庵素丸や今日庵元夢・二六庵竹阿などの葛飾派に師事した。宗匠として一家をなさず、蔵前の札差で大物俳人の夏目成美を後援者とし、葛飾派の房総の知人などのもとを行脚しながら生計をたてた。安房では葛飾派が浸透した元名・保田・勝山などの鋸南地域をたびたび訪れている。文化12年(1815)11月と文化14年4月には本織・久保まで足をのばし、井上杉長などと連句を行なっている。文政10年(1827)没。65歳。写真55は、当時柞枝と号していた安馬谷村(丸山町)名主の座間善三郎家に残されていた発句の書留帖で、文化9年(1812)と文化14年作の一茶の句が記録されている。