高浜虚子に学んだ臼田亜浪が主宰した俳誌『石楠』は、自然や生活事象を主観を通して表現する純正俳句を標榜していました。いち早く『石楠』に参加した蒼々子は、前田伯志のもとに集まっていた光雲・陵雪らと大正10年、安房盟楠会を結成して新派の俳句革新運動をはじめました。江見町の大川丹沙郎・和田町の吉川鬼洗のほか、旧派の宗匠だった国府村の見月路白なども加わり、安房地方の中心的な俳句結社になります。昭和2年に刊行した句集『海松{みる}』は、その活動を広く安房全域に知らしめました。
103.安房盟楠会歓迎会写真 昭和9年(1934) 石井治氏蔵
臼田亜浪を館山に迎えた際の記念写真。前列左から山田房山人・高木帰山洞・石井几輿子・斎藤光雲・臼田亜浪・高橋蒼々子・西宮六白子・石井富峯、後列に旧派宗匠だった観月而吟・鈴木雪嶺がいる。
104.蒼々子肖像 高橋武二氏蔵
【高橋蒼々子】 高橋信。明治20年(1887)、安房郡館山上町(館山市)生まれ。安房銀行頭取高橋千之輔の長男。祖父文平周行(ちかつら)は館山藩勘定方、公用人。大正2年、東京美術学校西洋画科を卒業し、帰郷。同年『南柯(なんか)』同人となり内藤鳴雪に師事。のち臼田亜浪の『石楠(しゃくなげ)』に移り、幹部となる。帰郷後旧派の句会に参加し、しばしば閑骨と号す。大正10年(1921)、石楠支部の安房盟楠会結成。安房農業水産学校教師、昭和6年(1931)松戸高等女学校へ転任。松戸で昭和34年(1959)12月4日没、73歳。敬信院蒼海至道居士。
102.亜浪短冊 石井治氏蔵
46.臼田亜浪短冊 安西明生氏蔵
105.蒼々子短冊 高橋武二氏蔵
106.内藤鳴雪句幅 蒼々子男児誕生祝 高橋武二氏蔵
107.蒼々子俳画幅 高橋武二氏蔵
108.蒼々子画 大野木聖(太平)句幅 大野廣平氏蔵
【斎藤光雲】 斎藤喜市。明治13年(1880)、長狭郡大幡村(鴨川市)生まれ、吉尾村村長永井右平次の二男。天津の斎藤家の養子となる。東京済生学舎に入学し、明治45年館山新井に眼科病院を開業。のち長須賀に移転。はじめ伯志門人。のち安房連楠会に参加。『石楠』同人。大正13年安房美術会を創設し、のち会長となる。戦後、館山市俳句連盟を創設する。昭和51年(1976)1月25日日没、96歳。賢徳院光雲日喜居士。蓮幸寺に墓と句碑がある。
「雪の富士まともに落花舞ふところ」
46.光雲短冊 安西明生氏蔵
110.光雲画 臼田亜浪句幅 高橋武二氏蔵
48.観月短冊 山口国男氏蔵
【観月而吟】 見月初五郎。明治5年(1872)、平郡川田村(三芳村)生まれ。雨葎庵路米の門人で、はじめ観月庵路白と号し旧派の宗匠として活動する。のち安房盟楠会に加わって刀衣と改め、さらに而吟と称す。昭和22年(1847)11月14日没。76歳。観月院路白而吟居士。
102.亜浪短冊(陵雪追悼) 石井治氏蔵
102.陵雪短冊 石井治氏蔵
【石井陵雪】 石井真太。明治9年(1876)、安房郡山荻村(館山市)生まれ。石井三朶花の子孫。館山下町に歯科医院を開業。伯志門人、大正4年立机。花月菴。のち安房盟楠会に参加。『石楠』同人。大正12年(1923)9月1日関東大震災で死去。48歳。石眞院仁応陵雪居士。辞世「心葉生くるのみ高原の旱り草」。長男は俳人の石井潔(几輿子)。『石楠』同人。館山市俳句連盟の初代会長となる。昭和34年(1959)11月21日没。64歳。玉厳院慈潔禅洞居士。潔の長男眞が、昭和37年11月に句集『山荻(石井家三代)』を刊行。
110.石井几輿子色紙 石井治氏蔵
111.傘寿記念奉納額 昭和5年(1930)
日枝神社蔵
船形町川名(館山市)の俳人川名竹香が八十歳を記念して奉納したが、絵は斎藤光雲、祝句は旧派の宗匠山口すみれによる共同作業。
112.『安房名勝俳句集』
千葉県立中央図書館蔵
長狭の俳人松川泰山子が昭和5年に刊行した選集。郡内の名所28か所を安房の新派俳人40人が詠んだ郷土顕彰の句集。