【二世香月園逸民】 遠藤林兵衛。安房郡御庄村(三芳村)の人。山口梅寿から香月園を継ぐ。
【勺菴宇明】 井上四郎兵衛。朝夷郡久保村(千倉町)の人。井上杉長の娘婿で、門人。
【陶々舎延年】 朝夷郡宇田村(千倉町)の人。幕末から明治初頭にかけて作品がある。
【乙亥】 安房郡長須賀村(館山市)の人。平館村元亥の弟。幕末から明治前半に作品がある。
【三世香月園魏道】 押元馬太郎。安房郡竹原村(館山市)の人。玉泉堂、のち遠藤逸民より香月園を譲られる。
【二世自在庵玉壺】 西森久嗣。平郡金尾谷村(富浦町)の人。明治初頭から中期にかけて作品がある。
【吟風】 万屋宇兵衛。朝夷郡丸本郷村(丸山町)の人。文政から嘉永頃に作品がある。
【孝梅園金呂】 高木金吾。安房郡高井村(館山市)の人。医師。済安と号す。幕末の医師高木抑斎の父。文政から弘化頃に作品がある。
【ト景園月舟】 正木貞蔵。天保8年(1837)、平郡船形村(館山市)生まれ。世襲名主。水光亭とも号す。明治35年、北下台館山公園に隠棲。大正5年(1916)4月24日没。80歳。円明院金剛智體大居士。
【墨耕舎故山】 亀屋吉五郎。平郡船形村(館山市)の人。文政8年(1825)の高崎湯浴堂の奉額に絵を描いている。
【柞枝】 座間善三郎。朝夷郡安馬谷村(丸山町)の人。名主。井上杉長の門人。天保11年(1840)3月4日没。彗光明量居士。
【四世昂々堂杉甫】 和田市太郎。文久3年(1863)、朝夷郡岩糸村(丸山町)生まれ。加瀬成文から昂々堂を継ぎ、のち長男萍村に譲る。昭和5年(1930)4月5日没、78歳。昂堂杉甫居士。辞世「南無あみた仏と木の実や飛て行」
【只青庵児石】 岩崎善右衛門。平郡元名村(鋸南町)の人。世襲名主。咄々庵とも称す。其日庵二世長谷川馬光・三世溝口素丸の門人。寛政2年(1790)、日本寺に馬光句碑を建立し、五十回忌取越しの追善集『霞の碑』を刊行。文化9年(1812)9月3日没。白屋児石居士。
【二世昂々堂白麿】 丸治郎左衛門。朝夷郡岩糸村(丸山町)の人。素兆の門人。昂々堂を継ぐ。辞世「夕栄や蓮の浮き葉のうき心」
【鏡湖庵瑞石】 関口玄琳。平郡本織村(三芳村)の人。医師。江戸の二世白兎園宗瑞の門人。竹之友連主宰。寛政5年(1793)頃、亀ヶ原の新御堂に竹之友連で芭蕉百回忌にあわせて芭蕉句碑<陰徳塚>を建立。文化年間に一茶の訪問を受ける。天明7年(1787)に『竹の友』、同9年に『島の遊』刊行。この頃武蔵に住し葛飾北斎と交友する。のち馬適と改める。高崎湯浴堂の文政8年(1825)句額に名がみえる。
【鋸麓園檉斎】 岩崎泰輔。平郡元名村(鋸南町)の人。名主・医師。明治14年(1881)没。91歳。
【独嘯坊叟阿】 出身地不明、明和6年(1769)生まれ。平郡小保田村(鋸南町)円照院に住す。文化14年(1817)、越後・信濃を遊歴。天保9年(1838)11月26日没、70歳。風流阿覚信士。
【素共】 油屋和七。朝夷郡宮下村(丸山町)の人。文化14年(1817)に勝山まで小林一茶に会いに行っている。
【百羅漢苔年】 平郡山下村(三芳村)の人。嘉永4年(1851)に千代村(三芳村)皇神社の奉額の撰者を務める。
【二世澹泊園竹坡】 法印頼充。文政10年(1827)、朝夷郡川戸村(千倉町)生まれ。文殊院十三世の修験。権大僧都。閑々より澹泊園を譲られる。安政3年(1856)西国へ遊歴。文久2年(1862)7月17日没、36歳。
【三友堂椿園】 景山氏。安房郡薗村(館山市)の人。弘化から明治初期に作品がある。
【臥猪庵露守】 船形村(館山市)大福寺住職。俳諧は江戸の田喜庵護物に師事。詳細不詳。弘化3年(1846)の『国分集』では「亡人」とされる。
【汀月】 奈良屋八右衛門。朝夷郡真浦村(和田町)の人。文政から嘉永頃に作品がある。
【大黒庵宜明】 醍醐新兵衛。平郡勝山村(鋸南町)、元文2年(1737)生まれ。醍醐新兵衛明定の子。名は定恒。勝山藩大名主。御徒士格。代々鯨漁醍醐組の元締めを勤める。俳諧は葛飾派。文化3年に一茶が逗留。文化12年(1815)1月9日没。79歳。保寿院桂癸日芳居士。
【三才洞百羅】 法印宥範、通称山下玄門。平郡山下村(三芳村)、安永元年(1772)生まれ。福沢姓。山下村の玄門山無量院(大福院)七世の修験。大僧都。医師。天保4年(1833)に62歳で江戸へ出て館山藩の侍医となる。同村の為仙より百羅の号を譲られる。のち蓼叟と改める。安政2年(1855)没、84歳。
【四世瓢庵文園】 小柴為次郎。明治7年(1874)、朝夷郡前田村(丸山町)生まれ。明治30年頃に牧野菊由から瓢庵を継ぐ。のち久保(千倉町)の尾崎杉嶺に譲って、嶺南居と称す。昭和16年(1941)7月3日没。68歳。弘尚院楽心浄為居士。
【山池菴鳳山】 池田氏。平郡那古村(館山市)の人。薬店佐野屋主人。明治22年に芭蕉二百回忌を山月楼で行なったときに、一蓮舎託生から伝授を受けて文台執筆を務める。
【木章】 鈴木道順。寛政7年(1795)、平郡谷向村(三芳村)生まれ。名主・医師。漢詩人鱸松塘の父。嘉永頃に江戸で遠江国浜松藩の井上正直に医師として仕える。明治2年(1869)7月18日没。75歳。修斎院道順日意居士。
【三世七浦庵鸞山】 座間貞善。朝夷郡小川村(和田町)の人。中三原村(和田町)正文寺二十五世。明治17年(1884)に犬掛日宣寺より入寺。鷲月道人とも称す。角田江斎より七浦庵を嗣ぐ。昭和3年(1928)4月28日没。本寿院日乂上人。
【路行】 山根保八。平郡小原村(館山市)の人。幕末から明治期に作品がある。
【呂風】 平郡勝山村(鋸南町)の人。盲目の俳人。文化6年(1809)に朝夷郡大井村(丸山町)の大徳院に芭蕉句碑を建立。建碑を記念して句集『苔莚』を刊行。
54.延年短冊 座間恒氏蔵
48.路行短冊 山口国男氏蔵
113.月舟短冊 正木高明氏蔵