真言宗の寺院で金剛山不動院といいます。里見氏の時代は寺領10石をもっていました。当時は護摩堂と呼ばれ、慶長11年(1606)、里見忠義は紀州高野山西門院へ寺領181石とともに、護摩堂屋敷10石を寄進しています。江戸時代は2石5斗の除地を認められていました。境内には天保12年の三山碑や、幕末に近隣の子弟に習字や読書を教授した住職孝林の記念碑があります。墓地には忍藩士や長尾藩士の墓があり、長尾藩の算学師範小沢直治の墓碑も建てられています。また幕末の相撲取り象ケ鼻平助の墓があります。象ケ鼻は北条仲町の出身で、大関まで昇進し、四国徳島の城主蜂須賀氏や丸亀の京極氏など大名のお抱え力士になった人です。本堂には神明町の渡辺雲洋が描いた明治8年の天井画と武志伊八郎の彫刻があります。
◇交通 JR内房線館山駅下車徒歩12分