八幡(やわた)

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 安房国総社の鶴谷八幡宮を中心として成立した村で、現在は美しく手入れをされた槙の生け垣が続く閑静な住宅地になっています。江戸時代初期の里見氏治政下では、鶴谷八幡宮の社領で、村高174石余。里見氏の転封後社領は171石5斗に削られ、社領の支配は八幡宮の別当那古寺があたっていました。江戸時代は社領と別に5石余があり、明治元年には村高176石余。天正15年の里見義頼判物に北条鶴谷八幡宮とあることから、八幡はもと北条郷に含まれた地域で、慶長2年の太閣検地の頃社領が独立したものと考えられます。八幡村としての初見は慶長3年。明治3年になると北条との境に長尾藩の陣屋が建設され、周辺が武家屋敷として整備されました。その後避暑客の別荘や東京の大学・高校の寮もできるようになりました。神社は鶴谷八幡宮、寺院は八幡宮の社役を務め6石の配当をうけた千燈院があり、境内に寛政5年の廻国塔があります。他に室町時代末の木造弁財天坐像を祀る阿弥陀堂があります。また戦時中には、軍需工場として池貝鉄工所が設立されています。