北条地区

 シリーズ最終回の8回目として、北条地区を取り上げました。平久里川と汐入川にはさまれ、館山湾に沿った平野部に位置する館山市の中心地で、とくに明治以降安房郡の政治経済の中核として発展した地域です。北条の地名は、明治22年の北条町成立の際、中心地の名称を襲用したものです。

 北条地区は館山平野の砂丘列上に古い集落があり、間の低地を水田とする農業地域と、房総往還に沿った商業地域がありましたが、現在は館山駅を中心に商業地域と住宅地域が広がっています。面積は7.38k㎡で、市全域の6.7%にすぎませんが、人口は13,596人で市全体の24.7%の人が生活しています。

 古代の遺跡は高井に古墳時代の土師器の散布地がありますが、集落の展開はこれより後のものが多いと思われます。鎌倉時代には鶴谷八幡宮が府中から八幡へ移されたといいます。江戸時代初期の慶長年間には長須賀や北条にすでに町場が形成されており、寛永15年に北条藩の陣屋が置かれ、幕末にも海岸警備の陣営が置かれて、今日の官庁街の素地がつくられていきました。

 江戸時代には、北条・長須賀・八幡・湊・高井・古川新田の6か村があり、明治初期に新宿・上野原が北条から分村します。古川新田は明治3年に高井と合併し、明治22年に北条町が成立。大正8年の国鉄安房北条駅の開業により、町は大きく発展を遂げていきました。館山市となるのは昭和14年のことです。

戸数のうつりかわり

旧町村名 天保 明治24年 世帯数
昭和35年 平成4年
北条 248 394 2,243 2,317
新宿 36 42 108 113
長須賀 130 161 772 859
八幡 63 89 297 852
48 58 99 611
高井 56 60 91 223
上野原 17 16 35 186
合計 598 820 3,645 5,161