武州忍藩は天保13年(1842)、外国船に対するため安房・上総の海岸警備を担当し、二万七千石を支配します。弘化4年(1847)になると安房国専任となって陣屋を北条の鶴ケ谷に設け、150名ほどが詰めていました。現在の安房高校西南あたりの住宅地と思われます。浜には4門の大砲も据えられました。嘉永6年(1853)には担当が備前岡山藩に替わり、安政5年(1858)まで三万石の預地支配をおこなっています。警備のため国元から来て駐留していた両藩の人々のなかには、この地で没した人も多く、法性寺や不動院に葬られました。法性寺では46名が確認できます。その後駿河の藤枝から移封して来た長尾藩本多氏(四万石)が、明治3年(1870)この地に陣屋を構えます。藩庁を中心に武家屋敷も整えられ、安房高校やその西側から駅前の昭和通りに至るまでの整然とした住宅地の区画はその当時のものです。今も数軒子孫のお宅があります。安房高校の東南にある稲荷神社は藩主本多氏が勧請したもので、境内には戦前まで天保14年鋳造の大砲がありましたが、今は旧臣による大正11年の奉納記念碑が残るのみです。
◇交通 JR内房線館山駅下車徒歩10分