土器片錘(どきへんすい)

 土器片錘は、漁撈活動に用いられた網のおもりとして使われたものである。

 土器の破片を再利用して長方形や長楕円形にかたちを整え、長軸の両端に網を掛けるための切り込みが施してある。

土器片錘(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

土器片錘(館山市鉈切洞穴) 縄文時代
千葉県立安房博物館蔵

  称名寺(しょうみょうじ)式土器

 縄文時代後期の一番はじめに位置づけられる土器で、神奈川県横浜市の称名寺貝塚で最初に発見された。

 縄文時代後期は、東京湾岸地域において海と陸からのめぐみにより、数多くの集落が発展したと考えられる。この土器から、漁や交易のため、舟に乗ってさかんに東京湾を行き来した縄文人の姿が想起される。

縄文土器深鉢(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

縄文土器深鉢(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

貝刃(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

貝刃(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

(以上、千葉県立安房博物館蔵)

 漁業に使われた前進キャンプ
  館山市鉈切洞穴

 標高23.7mにある館山市浜田の鉈切洞穴は、館山湾に面した海岸段丘に自然の営みでつくられた海蝕洞穴で、入口の高さは4.2m奥行きは36.8mと大きく、縄文時代には漁撈に従事した人びとが使用し、現在は、海神を祀る神社として信仰の対象となっている。

 昭和31年の発掘調査により、魚を捕るための鹿角製釣針のほか、マダイやマグロなどの外洋種の魚骨や、アワビやサザエなどの岩礁性の巻き貝などが出土している。これらの遺物は、海岸部での魚介類の採集にとどまらず、かなり沖合まで乗り出して漁をしていたことを物語っている。そのほか、シカ、イノシシ、イルカなどの哺乳類や、海鳥などの骨がみつかっており、遺跡の立地条件をよく示している。

鉈切洞穴内部

鉈切洞穴内部

釣針・ヤス・銛(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

釣針・ヤス・銛(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

魚骨(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

魚骨(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

シカ骨・イルカ骨(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

シカ骨・イルカ骨(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

貝類(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

貝類(館山市鉈切洞穴) 縄文時代

(以上、千葉県立安房博物館蔵)

  丸山町加茂遺跡

 加茂遺跡は、縄文時代では珍しい低湿地遺跡で、遺跡のできた縄文時代前期には湖沼となっていたらしい。昭和23年の発掘調査によって、アシなどの水性植物の層が確認され、泥炭化した土のなかからは、オニグルミやクリの木などの植物種子、丸木舟や丸木弓などの木製遺物が出土した。植物質の遺物は、酸性土壌ではすぐ腐るが、水中や水分の多い土中ではよく保存され、この点に低湿地遺跡の特性と重要性がある。

 縄文時代の土層に含まれていた多くの花粉を分析した結果、針葉樹はモミ、マキなど、常緑性広葉樹はアデラ、クリ、シイ、マテバシイ、アカガシ、アラカシなどで、現在の林相とほとんど変わらないと報告されている。

丸山町加茂遺跡
丸山町加茂遺跡

  弓矢の発明

 矢の先端につけられた石器のことを石鏃というが、矢先に石鏃が装着され、弓と矢がセットになることによって、はじめて機能する。

 弓矢は狩猟活動に一大革命をもたらした。これによって、遠くにいる獲物を射止めることができるようになり、大型獣から小型獣への動物相の変化に、対応することができた。

石鏃(館山市千田遺跡) 縄文時代

石鏃(館山市千田遺跡) 縄文時代
当館蔵

 山の幸をもとめて

 10,000年ほど前になると、長かった氷河期は終わりを告げ、気温が上がりはじめたことによって、海水面はどんどん上昇し、それまでの陸地の奥深くまで海水が浸入していった。

 そして多湿な気候に助けられ、それまでの草原地帯には、コナラ・クリ・ドングリなどの堅果を実らせる落葉樹林が広がっていった。これらは、いずれも良質なデンプンの塊である。また、それまでの主要な食糧源であった大型獣は急速に姿を消し、変わってシカ・イノシシなどが増えていった。

 恵まれた環境があっても、それを利用する方法を知らなければ生活の役には立たない。氷河期を生きぬいてきた人びとは、やがて、この好環境下の生態系を熟知し、それを最大限に利用する方法を身につけていったのである。

磨石と石皿(館山市千田遺跡) 縄文時代

磨石と石皿(館山市千田遺跡) 縄文時代
当館蔵

磨製石斧・打製石斧(富浦町深名瀬畠遺跡) 縄文時代

磨製石斧・打製石斧(富浦町深名瀬畠遺跡) 縄文時代
富浦町教育委員会蔵

 ナウマン象を追ったハンター達

 富浦町大房岬で、約18,000年前の富士の火山活動によってもたらされた立川ローム層のなかから、黒曜石製の石器がみつかっている。この頃は気温が低下し、海退が進み東京湾は完全に陸地化していたと考えられ、人びとは火山灰の降り積もる大地を打製石器を手に、ナウマン象などの動物を追い、常に移動を繰り返していた。

石器(富浦町大房岬遺跡) 先土器時代

石器(富浦町大房岬遺跡) 先土器時代
個人蔵

四季の幸を求めて

 日本列島を舞台とする生活は、何万年にもわたって繰り広げられており、この長い間には、自然環境も何度となく変化した。自然を変える能力をほとんど持ち合わせていなかった原始・古代の人びとは、自分たちの都合のよいように、生業を適応させていった。

 現代人は、生活条件の向上のために、山を削り、谷を埋め、生態系を破壊し、自然を征服したと錯覚するが、これが山崩れや、森林の砂漠化などの環境破壊を進行させている。現代人もまた、自然の支配から脱しきれないのである。

  井戸に眠っていたもの

 掘立柱建物の柱穴は多数検出されるが、使用された木材は残らない。ところが、地中深くに埋まっている井戸内部の木材の残りはよく、下ノ坊遺跡で2基の木組井戸が検出された。壁を保護している木材が残っていたほか、片口鉢などの木製品が出土した。木製品は腐食しやすいが、水中などの酸素に触れないところではよく残るのである。

ほりだされた井戸の跡(鋸南町下ノ坊遺跡)

ほりだされた井戸の跡(鋸南町下ノ坊遺跡)
財団法人千葉県教育振興財団提供

木製片口鉢(鋸南町下ノ坊遺跡)

木製片口鉢(鋸南町下ノ坊遺跡)

木製舟形(鋸南町下ノ坊遺跡)

木製舟形(鋸南町下ノ坊遺跡)

木製円形曲物(鋸南町下ノ坊遺跡)

木製円形曲物(鋸南町下ノ坊遺跡)
以上:財団法人千葉県教育振興財団提供