職を失った士族がつく新しい職業として多いのが地方官吏でした。村の代表者だった名主などの村役人が明治5年(1872)に廃止されると、新たに戸長(こちょう)・副戸長と称して士族などが任命されるようになりました。士族が多く居住した八幡村周辺の戸長になった原田吉雄や、萱野士族屋敷がある国分村周辺の戸長になった富岡連が知られています。
明治11年(1878)に安房郡役所ができると郡長や郡書記といった官吏になる士族が現れ、さらに明治22年(1889)に旧村を合併して新たな町村ができると、町村長に就任する士族も数多く現れました。
明治4年(1871)の学制公布によって、学区取締という地方教育の事務を担当する官吏になる士族もいました。学校の設立や学費の調達、就学の勧めなどを行うため、地域の人望ある人物が任命されていました。
税務署・裁判所・監獄署などに勤める者もいました。また、武士としての職能を活かして警察官や軍人になる士族も多かったといいます。