長尾士族の小川徳(いさお)は、自分は商法を熟知していないが、「商工」に就くことが上計・上策だと考えていました。不慣れな商売に手を出し失敗することを、象徴的に「士族の商法」と表現されますが、士族たちは公債の資金を元手にさまざまな事業に挑戦していました。
長尾士族の市野泰孝は、明治16年(1883)に就産舎(しゅうさんしゃ)を設立して石版印刷業を始めました。この組織は士族の授産目的があったといわれ、社名には「武士自らの力で産業に就くことができた」という意味があったそうです。大正時代に集賛舎と社名を改めています。
饅頭屋や質屋、文房具屋などの商売を始めた士族もいたと伝えられますが、子供たち相手に「そちは何が入用じゃ」と声をかけるので、誰もいかなくなったという話もあり、こうした小商いは長続きしなかったといわれます。
なかには地道に修行をしてから開業する士族たちもいました。市内の成瀬写真館は明治12年(1879)の開業で、安房地方で最初の写真館として知られ、千葉県でも2番目になります。長尾士族の成瀬又男が、日本最初期の写真家下岡蓮杖(れんじょう)のもとで修業したと伝えられ、市内北条で開業した時は22歳でした。