絵や書、漢詩や俳句など、学問とともに文芸にも心得のある士族は、本職を得つつもその道でも生活を可能にした人々もいました。明治時代の館山には東京などから転居してくる士族も多く、土地の人々に文芸などの指導をしています。また士族の二世になると、研究や芸術といった分野で高い評価を得た人々もいます。
![88.『書道宝典』
大正4年(1915)](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2021/03/0030-00-36.jpg)
大正4年(1915)
当館蔵
長尾士族で書家の小野鵞堂(がどう)の著作。女子学習院の教授になった。
![91.自画像(リトグラフ)
昭和35年(1960)](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2021/03/0030-00-37.jpg)
昭和35年(1960)
当館蔵
レオナール・フジタの名で知られる洋画家・藤田嗣治の自画像。長尾士族で陸軍軍医総監になった藤田嗣章の子。
![92.歯車見本
南房総市立白浜小学校蔵](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2021/03/0030-00-38.jpg)
南房総市立白浜小学校蔵
歯車の研究で知られる工学博士の成瀬政男は、長尾士族の三世である。