明治4年(1871)7月に実施された廃藩置県とは、藩をなくして新たに府・県を置いた明治政府の行政改革です。知藩事は解職されて東京への居住が義務化され、新しい県では知藩事は不在状態になりました。藩主と藩士たちの関係が実質的に切り離されたのです。
館山藩は館山県に、長尾藩は長尾県になりました。藩がそのまま県になったので藩士は県の職員ですが、その家禄(給与)は政府からの直接支給に変わりました。これが全国で行われたのですから、政府の財政を圧迫することになります。国庫支出の30%以上が家禄の支給に充てられていたという試算があるほどです。そこで県の統合が行われることになりました。その年11月には安房・上総にあった15県を合併して木更津県とし、旧藩は全く消滅してしまいます。そして中央政府が任命した藩とは無関係の県令(けんれい)(県知事)がトップとして赴任しました。さらに明治6年(1873)6月には木更津県と印旛県が合併して千葉県ができることになります。
こうして武士は完全に職を失うことになりました。