【3】士族の転身

 金禄公債証書は、有効に投資できた士族や投資に失敗した士族、生活に困窮して売却した士族、換金まで持ち続けた士族がいたようです。いずれにしても家禄奉還のときに現金と秩禄公債が交付されたのと違い、秩禄処分では金禄公債証書しか交付されなかったので、公債利子だけが収入源でした。新しい職を得なければ生活が成り立たなくなったわけです。官有地の払い下げによる開墾や北海道移住など、政府による士族授産と呼ばれる救済政策もとられましたが、同じ藩の士族がまとまることで自主的に就産策を取っていくこともありました。また資産づくりのために、明治元年(1868)に静岡から県南へ転封してきた鶴舞藩(市原市)・長尾藩(館山市)・花房藩(鴨川市)の士族の中には、千葉町に設立された第九十八国立銀行に出資したものが多く、数百人にのぼったといいます。初代頭取は旧長尾藩知事本多正憲の弟本多埴麿(はにまろ)でした。第九十八銀行は花房士族が設立した花房銀行を大正8年(1919)に合併し、やがて千葉銀行になります。