(4)教育界に転身

 文武を職能としていた武士にとって、その能力を活かせる仕事のひとつに教師という職がありました。明治6年(1873)から小学校が設立されていき、市内では35校の小学校ができています。それぞれの教員数は1人から2人程度ですが、職を失ったばかりの教養のある士族にとっては最適の就職口でした。なかには青年の教育機関としての役割を持った私塾を運営する士族もいました。裁縫で身を立て東洋英和女学校の寄宿舎監になった加茂令子(明治4年・1871年生)も長尾士族でした。

74.小学授業生辞令
明治7年(1874)
当館蔵
館山士族の鈴木義章は、東長田小学校へ勤務した。
77.『千葉県地誌略』
明治16年(1883)
当館蔵
館山士族の山下安民は、千葉師範学校の教授になった。
78.恩田利武肖像
大正時代
当館蔵
長尾士族の恩田利武は、私塾「日知学舎」の教員に招かれた。