20.洲宮村絵図 寛政10年(1798)

 絵図の裏に後日のための控えとして絵図作成の理由がしるされており、「御林郷山其外山々御改二付絵図面相認差上申候」とあり、山改のため差出されたことがわかる。寛政10年には館山藩領で他に6ヵ村が山改をうけている。

 洲宮神社の門前、川向いに高札場郷蔵の注記がある。明神山裾の建物が洲宮神社、寺山のところが薬王院、寺作の建物は不動堂である。

洲宮村絵図 寛政10年(1798)
47×116 洲宮区蔵