天明2年5月15日の裏書がある。畑村は天明元年9月に稲葉正明が安房上総に3000石を加増された際、その支配となった。同じ領内の真倉村、沼村では天明2年3月に村明細帳を差出しており、この絵図も稲葉氏の入封にともない、差出したものであろうか。
山荻から畑への道はまだなく、尾根をつたって東長田へとぬける道を利用していた。年貢の運搬も東長田、大戸、下真倉、長須賀を経由して館山へ運んでいる。
長尾川に沿って集落と耕地が開かれているが、山間部の平坦地も利用して耕地を開いている様子がわかる。山神・八幡・牛頭天王の三社は現在合祠され、長尾三神社として祀られている。高札場・郷蔵は名主屋敷の前にあった。