27.大戸村絵図

 大戸村は南条村の枝郷であった。裏書に森覚蔵御代官所房州安房郡大戸村とあるので文政から天保頃のものである。山荻村弘分用水の文字が見えるが、大戸村は山荻村の長堰から分水して灌漑用水としていた。文政7年に長堰の普請願を出しているのでその関係かとも思われる。

 村内北西部に青木村光厳寺領がある。これは平郡青木村(南房総市富浦町青木)の光厳寺の寺領73石余の内11石6斗8升が南条村の内で給されていたものである。寺領内に見える松は舟継ぎの松と称されていたものだが、昭和になって倒木している。稲荷社もすでにないが、庚申塚は当時のおもかげを残している。左下隅に貞四郎書とあるのは上真倉村名主真里谷貞四郎が描いたものであることを教えてくれる。

大戸村絵図
40×28 真倉区蔵