文化8年には旗本高木氏から白河藩へと支配が変わっており、3月頃には代官大貫次右衛門が入っている。
平砂浦の浜をもたない谷間の村で、川沿いに若干の耕地があるだけである。村内の道は変わらないが、現在宮城へ出る道は沼へ山越するのが旧道である。要害道あるいは魚買道と呼ばれていた。高札場、郷蔵は川の左岸、橋のたもとに描かれている。現在南国花木園のある山は砂山になっていた。
![茂名村絵図 文化8年(1811)](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0005-025-01-01.jpg)
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文化8年には旗本高木氏から白河藩へと支配が変わっており、3月頃には代官大貫次右衛門が入っている。
平砂浦の浜をもたない谷間の村で、川沿いに若干の耕地があるだけである。村内の道は変わらないが、現在宮城へ出る道は沼へ山越するのが旧道である。要害道あるいは魚買道と呼ばれていた。高札場、郷蔵は川の左岸、橋のたもとに描かれている。現在南国花木園のある山は砂山になっていた。