34.相浜村・大神宮村・犬石村巴川舟入論裁許絵図 承応3年(1654)

 34並びに36の絵図は、平砂浦に注ぐ巴川の利用と芝浜の利用をめぐっての争論である。承応3年に相浜村及び大神宮村・犬石村の間で、巴川へ突きんぼう漁の舟を係留することと、相浜・大神宮両村による芝浜の鰯干し場としての利用をめぐって争われたが、この時点ではまだ結論は出ず、解決するまでの論所の利用を禁じているのみである。

 両絵図の内容は違うが、同じ目的で同時に出されたものである。34は大神宮村・犬石村宛であり、36は相浜村宛のもの。36の絵図裏面の裁許文は35と同じである。

 この裁許絵図は以降に起こった近隣の争論の際に証拠としてしばしば採用され、正徳3年の浜論(32図)の際は36が、宝永7年の佐野村・犬石村境論(37図)の際には34が使われている。

相浜村・大神宮村・犬石村巴川舟入論裁許絵図 承応3年(1654)
63×91 岡嶋成鑑氏蔵