元文5年(1740)以来、汐入川をめぐって続いている新井浦と長須賀村および館山下町と長須賀村の境論裁許絵図で、論所のみを描いた絵図である。
前者は川岸にできた干潟芝地の所属をめぐるもので、後者は両村をむすぶ橋際に長須賀村が建てた分杭をめぐってのものである。いずれも長須賀村の主張がとおり、境界線を設定して杭が打たれた。
元文5年(1740)以来、汐入川をめぐって続いている新井浦と長須賀村および館山下町と長須賀村の境論裁許絵図で、論所のみを描いた絵図である。
前者は川岸にできた干潟芝地の所属をめぐるもので、後者は両村をむすぶ橋際に長須賀村が建てた分杭をめぐってのものである。いずれも長須賀村の主張がとおり、境界線を設定して杭が打たれた。