畑村と神余村との間で山境が争われた際の宝永2年の裁許絵図である。裁許文が短文であるため争論に至る経過は分からないが、現在この論所は畑区ではコウサンバタ(降参畑)と呼ばれている。
地蔵岩屋とあるところは中世のやぐらがあり、五輪塔や宝篋印塔が残されている。
畑村と神余村との間で山境が争われた際の宝永2年の裁許絵図である。裁許文が短文であるため争論に至る経過は分からないが、現在この論所は畑区ではコウサンバタ(降参畑)と呼ばれている。
地蔵岩屋とあるところは中世のやぐらがあり、五輪塔や宝篋印塔が残されている。