館山の気になる樹 2.

館山の気になる樹 2
(1) 総持院のクス・イチョウ・スダジイ

(1) 総持院のクス・イチョウ・スダジイ

所在地 館山市沼1139

真言宗智山派で獅子吼山総持院慈眼寺と称し、「沼の大寺」といわれて親しまれている。境内には夫婦(めおと)楠(クス)と呼ばれる大楠があり、幹周が4.8m(樹高17m・16m)あり樹齢400年と伝えられる。自然の中に寄り添う心和(なご)む木である。その他にイチョウ(幹周3.9mと2.6m、樹高10m・8m)が山門の左右にあり、奥の墓所に行く坂の途中にスダジイ(幹周3.9m、樹高20m)もある。当寺は平安時代後期の永長2年(1097)に安房国司 源朝臣親元(みなもとのあそんちかもと)により創建されたお寺である。この寺は里見氏との関係が密接で、第9代義康の寺領充行(あてがい)状、第10代忠義の朱印状、徳川幕府代官中村弥右衛門の達状(たっしじょう)や、第3代将軍徳川家光以下歴代将軍の朱印状写が保存されている。山の奥の洞窟は館山市指定史跡で縄文・弥生時代の土器のほか、古墳時代に墓として使われたことから、舟を用いた棺(ひつぎ)や甲冑・玉等の副葬品が発掘されている。

(2) 天満神社のヒマラヤスギ・ムクロジ・イヌマキ・イチョウ

(2) 天満神社のヒマラヤスギ・ムクロジ・イヌマキ・イチョウ

所在地 館山市沼1165

沼の天満神社は平安時代の後期、国司として赴任中(1096~1100)の源親元(みなもとのちかもと)が京都の北野天満宮を勧請(かんじょう)し創建した社である。この社には通称シーダと云われている属のうちヒマラヤスギがある。日本には明治12年(1879)に渡来し、円錐状の樹容が美しい事から神社や公園に多く植栽された。この社の木は幹周2.9mもある。また落葉高木のムクロジの大木がる。この種類は中部地方に多く、この社にあるものは幹周が2.4m(樹高24.5m)。その他常緑高木のイヌマキがある。イヌマキは潮風が当たる暖地の海岸地帯に多い。天満神社には幹周2.6mと2.5m(樹高25m)の2本が確認されている。他にはイチョウの巨木が境内にある。境内には数基の石碑があるが、その中でも明治35年(1902)の菅公1000年祭記念の碑には、菅原道真(すがわらのみちざね)が大宰府(だざいふ)へ赴く時に吟じた「東風(こち)ふかば・・・」と、大宰府に配流中の心境を訴えた漢詩「去年今夜侍清涼・・・」の二首が刻まれている。

(3) 沼のビャクシン

(3) 沼のビャクシン

所在地 館山市沼宇野庭443
館山市天然記念物 昭和36年10月21日指定

十二天神社境内にあり、幹周7.4m(樹高17m)、枝張東西20m、南北24mに広がるビャクシンである。地上から2m~4mで11本に枝分かれし、内1本は地上4mのところで切断された跡がある。樹皮は縦に裂け、ねじれ上がっており、表皮が脱落して空洞があるものの、かたちのよい樹容をみせている。樹勢は極めて旺盛で推定樹齢約800年とされる。この木にはシャリンバイ・イヌビワ・ヤマハゼ等が共生植物として生育している。形の良い樹冠を形成しており、一般には庭園や神社の境内に植えられ観賞価値の高い長樹木として知られている。この樹が県内で最も大きなビャクシンだという。社殿の向拝(ごはい)にある龍の彫刻は後藤義光の作である。

(4) 南条八幡神社のクス

(4) 南条八幡神社のクス

所在地 館山市南条518-2
南条八幡神社 文化財マップ

治承4年(1180)に源頼朝が伊豆石橋山の戦いで敗れたあと、安房国から兵を挙げる時、京都に石清水(いわしみず)八幡宮の御霊(みたま)を勧請(かんじょう)し、社殿を建立したと伝えられる。社殿は大正4年に改築したが、震災による倒壊で昭和8年に建替えられた。境内横の池の中に珊瑚(さんご)の化石がり、沼地区にある珊瑚層と共に「沼珊瑚層」として昭和40年4月21日に館山市天然記念物に指定された。神社背後の山腹には古墳時代の横穴墓38基あり、東山横穴式群と呼ばれている。境内にある最大の木は二つ目の石段左にある「クスノキ」で、胸高幹周は6.06m、樹高は約26mである。

(5)山荻の民家のカヤ

(5)山荻の民家のカヤ

所在地 館山市山荻585

館山市で最大の「カヤ」の木が山荻の個人宅にある。この家の屋号は「伝五郎」というが、近所の人は「かやんき」と呼び、「カヤ」の大木がこの家の目印であることがわかる。山荻から畑区へ行く市道沿いにあり、山荻神社から約1km先の左側石垣の上に生育している。「カヤ」はイチイ科、カヤ属の常緑高木で、高木にならないと開花結実しない。樹齢は家人の話では推定400年~500年という。幹周は3.85m、樹高18m、枝張りは東西12m、南北17mあり、館山市の「カヤ」では最大の巨木である。昭和43年頃まではこの木の実から食用油を採取していたそうである。

(6)出野尾の道端のオガタマ

(6)出野尾の道端のオガタマ

所在地 館山市出野尾字宮下

このオガタマは出野尾の小網寺から清掃センターへ行く途中、三叉路を右に約100m先の道幅にある。オガタマノキはモクレン科の常緑高木で、神社や公園などに植えられている。和名は神道思想の「招霊(むきたま)」から転化したものと云う。日本神話の天照大神(あまてらすおおみかみ)の天岩戸(あまのいわと)隠れにおいて、天岩戸前で舞った天鈿女命(あめのうずめのみこと)が手にしていたとされ、古くには榊などととも神前に供える木として用いられた。幹周は1.8m、樹高約12m。この付近には安房国札32番札所の小網寺のほか、十二社神社・風早不動尊など見るべきものも多い。土手には秋にはツリカネニンジン等多数の山野草が咲き、訪れる人の目を楽しませてくれる。

(7)神余小学校のイロハモミジ

(7)神余小学校のイロハモミジ

所在地 館山市神余1364

神余小学校は館山市街地から白浜方面へ9km行ったところにある。開校した明治7年に入学した児童の数は23人、明治40年には150人、現在の在校生は20人程。今の場所に学校ができたのは大正13年(1924)のことで、関東大震災で校舎がつぶれたので広い今の場所へ移ったものである。校門の左手に幹周2m、高さ7mの大きなイロハモミジの木がある。大正13年に校舎が移転した時、一緒に移ってきたという。平成14年の強い台風の非道ひどい塩害で学校のシンボルのカエデも弱ってしまったが、地域住民と樹木医などの協力によって治療に取りくんでいる。樹勢回復には数年かかるといわれている。みんなで見守りたいものである。イロハモミジは低山地にもっとも普通に見られるカエデで、庭園にもよく植えられている。

(8)金蓮院のイチョウ

(8)金蓮院のイチョウ

所在地 館山市犬石379
金蓮院 文化財マップ

当寺には藤原期に造られたと考えられる木造地蔵菩薩像や、青面金剛を掘り出した庚申塔や二代武志伊八郎の欄間彫刻、奇石「枕字石(ちんじいし)」などがあり、歴史と伝説が豊富な寺である。また安房国札三十四観音の29番札所として参拝されている。イチョウは山門の左側にあり、幹周4m、高さ10m程で、上の方は整枝されているが存在感がある。平成21年の秋まではタブノキが観音堂の裏手にあり、幹周2.6m、高さ16.5mで、根が盛上がって面白い形になっていた。観音堂の前には、2000年以上前に咲いていた古代ハス「大賀ハス」の池がある。これは平成6年に3個の実を譲り受けて発芽させ、3年後の平成10年7月に見事開花したものである。

(9)安房神社のイヌマキ・イチョウ・タブ

(9)安房神社のイヌマキ・イチョウ・タブ

所在地 館山市大神宮538
安房神社 文化財マップ

安房神社の本社御祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)、下の宮御祭神は天富命(あめのとみのみこと)、天忍日命(あめのおしひのみこと)である。神社の始まりは2660年以前に遡るとされ、天富命が阿波の忌部一族を率いてこの地に到着し開拓を成し遂げ、祖先である天太玉命おお祀りした事に始まるという。この社の御神木はイヌマキで、下の宮と御手洗池の間にあり、幹周3.4m、樹高15m、地上3m位のところで3本に分枝している。またこの社には、イチョウの巨大樹が2本ある。イチョウの原産地は中国であるが日本に渡って来た時期は不明。イチョウと云う和名は中国語の鴨脚(=いちょう)の近世中国音(ヤーチャオ)から転化したという。本社上の宮と御仮屋の間には幹周6.6m、樹高32mの巨木があり、上の宮下段の海軍落下傘部隊慰霊碑の前には、幹周4.6m、樹高32m、地上5m程のところで7本に分枝した巨木がある。なお本社拝殿の右手には、幹周3.1m、樹高20mのタブノキがあり、他にもこれに準ずる大きさの樹が数本見受けられる。タブは日本暖帯林を構成する樹種の一つで、青々と茂り勇壮な大木となる。この社の近くには「県立野鳥の森」があり、多くの樹種と100種類以上の野鳥が観察出来る。


<作成:ミュージアム・サポーター「絵図士」
青木悦子・川崎一・御子神康夫・吉村威紀>
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