初代後藤義光の彫刻を訪ねて 2.(和田・丸山編)

後藤義光その2 各地に残る義光の作品

文化12年(1815)生~明治35年(1902)没

南房総市千倉町で生まれた「後藤利兵衛橘義光(ごとうりへえたちばなのよしみつ)は、安房の代表的が宮彫り師で安房地方の寺社や各地の神輿や山車・屋台に多くの作品を残している。義光の作品は、荒仕上げの中に優しさがあり、木目を巧みに生かした美しさは見るものを引きつける。建物の様式により整合しており、社寺建築の文化性を良く表現している。義光は竜を得意とし、寺社の向拝(ごはい)・虹梁(こうりょう)などに玉取り竜が刻まれいるほか、屋台の破風(はふ)や山車・神輿の欄間(らんま)、扁額(へんがく)、個人所有の仏壇欄間、弘法大師像、宝船、恵比寿天・大黒天像、動物の置物等が残されている。

ここでは、南房総市の旧和田町や旧丸山町に残された彫刻を取り上げた。

義光の彫刻は横須賀、鎌倉、京都にも見事な作品が残っている。各地に残された作品と寺社建築との一体感も見てほしい。

(1) 大王山宝性院

(1) 大王山宝性院

南房総市和田町上三原1426

真言宗智山派のお寺で本尊は不動明王。創建年代は不明だが、天文年間(1532~1555)に焼失、その後賢慶(けんけい)が中興開山し大正中期まで多くの進行を集めた。境内に虫神様を祀ったお堂があり、向拝(ごはい)の柱に耳外側に巻き毛、内側に火炎を施した獅子が飾られ、虹梁には若葉彫りが施してある。彫刻年代は不明だが「北朝夷村 彫工 後藤利兵衛橘義光」と銘がある。虫神様は南房総市指定文化財で明和(1764~1769)年間興雅(こうが)和尚が上総久留里より勧請し虫除けを祈願したという。病虫封除・息災豊穣を祈念し鳥図絵馬を奉納する人々が昭和初期まで続いたといい、堂内に多くの鳥図絵馬が残っている。また、この寺で昭和初期まで俳句の会が開かれていたといい、俳句額も奉納されている。空虚蔵堂には、空虚蔵菩薩像、明治15年(1882)奉納の開運大黒天と山神社境内観音堂から遷座した観音像が祀られている。

(2)荒神社

(2)荒神社

南房総市和田町鎧塚92

火産霊命(ほむすびのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)・天日鷲命(あめのひわしのみこと)の三神を祀り三宝荒神、荒神様とよんでいる。修験道の山伏や日蓮宗の僧侶によって勧請されたという。向拝龍は子供を抱き寄せ見つめ合う姿で細い火炎で囲まれている。「彫師 同郡北朝夷村後藤利兵衛橘義光」と銘があるが年代はない。左右の向拝柱には迫力のある獅子と牙を持った獏(ばく)、そして左右の肘木(ひじぎ)には波間に亀二匹が透かし彫りされ、虹梁には波に千鳥が彫られている。手挟(たばさ)みは肉厚で松と竹の間に鶴が彫られている。左脇障子(わきしょうじ)は牡丹に獅子が彫られ、右脇障子は松間の滝に獅子が彫られ「施主高橋」の名が見られる。屋根左右懸魚(けぎょ)には鶴が配され、社号額にも波に宝珠と龍二匹が縁取られている。拝殿左右柱の龍は二代目紋次郎義光の作といわれ、社殿全体の彫刻は初代義光と息子紋治郎と共同で作業したと推測される。また、拝殿の格天井には作者不明だが48枚の彩色花鳥図が描かれていて、社殿全体が素晴らしい作品で彩られている。大正5年(1916)の本殿の新築、拝殿改築の際に彫刻が付け替えられたようである。

(3)愛宕山大井寺大徳院

南房総市大井220

真言宗智山派円蔵院末のお寺で、現在の本尊は不動明王。境内には9坪の切妻鉄板覆の地蔵堂がある。寺伝によれば、天文年間(1532~1555)、里見実堯(さねたか)により建立され、地蔵菩薩を本尊とし不動明王、毘沙門天を祀っていたと伝えられている。地蔵堂には。今も不動明王、毘沙門天を脇に据えた木像の地蔵菩薩立像があり、加えて総高192cm、像高95cm(左足垂下(すいか)部まで126cm)、膝前76cmの石造地蔵菩薩坐像もある。後者は、村人は発掘した愛宕山麓渓流(あたごさんろくけいりゅう)の親子石を使い、大徳院住職の明道(みょうどう)の発願と地蔵講や大井村等の信者の篤志により、明治5年(1872)、義光(58歳)が制作したものである。本像は、嶺岡(みねおか)山系産出の蛇紋岩(じゃもんがん)を用い、光背(こうはい)から地蔵像及び請花(うけばな)、敷茄子(しきなす)までを一石とし、返り花を配した六角形の台座をもう一つの石に彫っている。左手に宝珠、右手に錫杖を持つ延命地蔵(白寿延命地蔵)である。円光背には24字の光明真言と3個の宝珠を刻み、後ろには梵字「ア」(大日如来等)を刻んでいる。像容は、左足を垂らし右足を左膝の上に置く半跏(はんか)像で、伏し目がちな目に筋の通った鼻、軽く結んだ口元には、慈愛に満ちた表情が窺える。
また、敷茄子(しきなす)正面に唐獅子(からじし)、六角形の台座前方三面には波と亀・宝珠が彫られている。銘文は台座後方三面と敷茄子左右の側面に刻まれており、台座後方右側面には「當國北朝夷邑彫工 後藤利平 橘義光」と「御光一式 千光山主宥性(ゆうしょう)和尚」の名、台座後方左側面に発願主の法印明道の名、台座後方中央部に石の寄付者と地蔵講や信者の名がある。石造地蔵尊としては安房郡市域において最大級とされ、木彫を得意とする義光が最初に手がけた石造物であると思われる。

(4)善性寺

(4)善性寺

南房総市珠師谷526

天台宗のお寺で本尊は薬師如来、往古(おうこ)は、字中居清水にあり、清水山善性寺と称していた。元和3年(1617)宋玄和尚が現在地に移したという。境内に大黒堂があり、大黒天が祀られている。大黒天は右手に打ち出の小槌を持ち、左肩に大袋を背負い、口を少し開き何かを語りかけているようで、また穏やかな笑顔の中に人を慈しむ心を持っているように見える。ここの大黒天の裏側に「後藤利兵衛橘義光作七拾五扇」の銘と「當寺現住武井純度代」の銘がある。明治22年(1889)この地は、豪族丸一族中でも最も有力であった咒師谷(しゅしがや)殿の屋敷跡地とされ、境内のやぐらには、宝篋印塔や五輪塔が数基あり、咒師谷殿の累代(るいだい)の墓であると伝えられている。昭和62年(1987)、他のやぐらを調査したところ、鎌倉時代後期から室町時代にかけて亡くなった仏を供養するため貝に経を書いた物が発見されているが大変珍しい。

(5)八幡神社

(5)八幡神社

南房総市小戸382

祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)。寛文元年(1661)東条藩主西郷若狭守の時、神田(しんでん)として3畝歩を免ぜられた。寛文3年(1663)神主清水長左衛門の時、社殿を改築。正徳元年(1711)拝殿造営。享保2年(1717)本殿造立。安永3年(1774)本殿内宮修築。慶応2年(1866)社殿改修。明治35年(1902)社殿修理。明治37年(1904)参籠殿改築。大正4年(1915)本殿・幣殿・拝殿改築の記録がある。拝殿正面には明治35年(1902)と大正4年(1915)の寄付額があり、神職を務めた清水家を筆頭に寄付がなされている。拝殿向拝の獅子の彫刻は後藤義光作で左柱の獅子には「彫工後藤義光」、右柱の獅子には「彫工後藤利兵衛橘義光」の銘がある。拝殿正面の社号額は後藤喜三郎義信の作。社殿内には社宝として三番叟(さんばそう)の面があり、かつて例祭日に三番叟の舞が奉納され多数の人でにぎわったという。

(6)沼蓮寺(じゅうれんじ)

(6)沼蓮寺(じゅうれんじ)

南房総市沼763
沼蓮寺 文化財マップ

真言宗智山派のお寺で本尊は地蔵菩薩。延慶元年(1308)、眞雅和尚が創建したと伝えられる。地蔵菩薩立像とその脇侍などを祀る本堂の北隣には薬師如来を祀る薬師堂がある。義光の作品は、本堂欄間に「百八ヶ寺地蔵尊巡り」第65番の扁額が掲げられている。薬師堂の北隣に銘の一部が欠損しているが、作風や製作時期から考えて初代義光の弟子の後藤義信が彫ったと思われる彫刻を取り付けた鐘楼(しょうろう)がある。薬師堂前にある鐘楼再建記念碑によれば、明治16年(1884)に強風で損壊したが、信者の寄付により、明治28年(1896)2月に再建した。刻銘が龍の裏側にあり「セワ人 小幡常吉、斎藤安治、渡邊梅吉、明治廿八年 當區(とうく)棟梁 小池豊鉋、当国安房郡 彫工 後藤義□(「信」の文字があったと思われる部分が欠けている)となっている。作者は不明だが薬師堂にも彫刻があり、屋根を支える桁(けた)の下に波、堂内の梁には菊と思われる花や葉などの浮彫りや若葉彫りなどが施されている。境内には七浦庵三斉の俳句「隔たるや 月には山の よい程に」を刻んだ句碑(俳諧の小戸連(おどれん)、沼連(ぬまれん)が建立)や、光明真言百万遍の碑と「奉読誦(どくしょう)法華経万部余供養塔」などがある。

(7)東光山福性院

(7)東光山福性院

南房総市安馬谷935-1

真言宗智山派宝珠院末(南房総市府中)のお寺で、本尊は地蔵菩薩である。由緒は不明、建物は江戸時代のものといわれる。明治の神仏分離までは安馬谷(あんばや)八幡神社の別当寺を勤めていた。宝珠院第39世邨田(むらた)栄運が隠居していたおりの、明治9年(1876)に再建した不動堂の向拝の龍の彫刻は、義光63歳の作で宝珠をつかんだ躍動感のある作品である。両脇の木鼻(きばな)に獅子、向拝(ごはい)の裏側にあやめ、両脇の虹梁(こうりょう)には波間に遊ぶ小鳥の図が彫刻されている。本堂向拝の獅子と獏は刻銘がないが三代武志(たけし)伊八郎信美作といわれている。境内には中世の希少な作として南房総市指定の石造地蔵菩薩像や井上杉長の句碑「蝶を追うこころもちたし いつまでも」(文政5年(1822)建立)がある。


<作成 ミュージアムサポーター「絵図士」
青木悦子・青木徳雄・金久ひろみ・川崎一・鈴木正・吉村威紀>