幻の師匠

 山調が何時絵の修業をしたか不明であるが、江戸奉公の頃とするのが妥当だろう。しかし、誰について学んだかは全く不明である。奉公先紙屋五郎兵衛については定かではないが、文政7年(1824)発行の『江戸買物独案内・上』によると、馬喰町4丁目にその名の記載がある。紙屋といっても商いは下り傘問屋であった。因みに紙屋五郎兵衛と店印が同じ<山中>の小間紙の大問屋が馬喰町1丁目にある。紙屋庄八というのだが、紙屋と傘屋とは無縁なものではないので、なんらかの関連があっても不思議ではないだろう。また山調が奉公していたであろう天明頃には、紙屋五郎兵衛の店は1丁目にあったのかもしれない。

 想像を逞しくすれば奉公先と縁のあった紙屋庄八に出入りの絵師との交流も考えられないわけではない。因みに同じ勝氏を名乗る押絵の勝文斎は馬喰町からさほど遠くない日本橋堀留町に住んでいたことがわかっている。勝文斎とは浮世絵勝川派・勝川春章の門人で春英のことであるが、奇しくも山調と同じ宝暦12年(1762)の生れである。それを明示するように天明年中に勝川春章が描いたものと註記のある「鐘馗図」が山調の資料の中に含まれている。

8.勝川春章画「鐘馗図」 天明年中
8.勝川春章画「鐘馗図」 天明年中