山調の時代は絵描きは芸術家でなく職人であった。山調自身も職業絵師として生活のために絵を描いてはいたが、そんな中でも積極的に後進の指導育成を企図していた。
山調画塾があったか、山調門下がいたかは定かではないが、山調の手による伝統的な画題による絵手本が作成され、それには習画の教則が懇切に教え示されている。
そのひとつ『戯作(げさく)神燈画』序にある「老いて教えざるは、その故無きに同じ」という山調の言葉が~絵の心意気を表しているといえよう。
![20.山調画「業平{なりひら}東下りの図」 習作](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0303-012-01-01.jpg)
![21.山調筆『戯作神燈画』序](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0303-012-01-02.jpg)
![22.山調画『無題画帖』の中の所収画 人を師とせんよりは造化を師とするにしくはなし。およそ天地の間、これある処のもの皆我ために剪裁{せんさい}して画に入るべし。(『無題画帖』にある山調の言葉)](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0303-012-01-03.jpg)
人を師とせんよりは造化を師とするにしくはなし。およそ天地の間、これある処のもの皆我ために剪裁(せんさい)して画に入るべし。(『無題画帖』にある山調の言葉)
![23.山調筆『画法式』](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0303-012-01-04.jpg)