2.職業絵師

 勝山調の生きた時代に絵描きだけで家計が支えられたかどうか不明であるが、積極的に寺社の絵馬や欄間絵、あるいは庚申講や二十三夜講などの神仏画を描いている。また依頼されて描いた肖像画や、節句の幟旗の下絵、七福神図などの多方面にわたる資料から、山調が画工として活躍するとともに、職業絵師として招福礼拝のための絵を多数描いて暮らしを支える糧としていたことが窺われる。

左:10.山調画「西王母{せいおうぼ}」 右:11.山調画「生稲直重肖像」 生稲謹爾氏蔵
左:10.山調画「西王母(せいおうぼ)」 当館蔵
右:11.山調画「生稲直重肖像」 生稲謹爾氏蔵

西王母
 西王母とは中国西方の崑崙山に住む神女で不死の薬を持つという。賢君の誉れの高い周の穆(ぼく)王に三千年に一度咲くという桃の花を捧げ、長寿を願う漢の武帝に仙桃を与えたという。
 わが国でも長寿の神として西王母信仰が広く行われた。